新しい時代はやってくるのか

 

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元号は変わったが、このひどい政権が交代する気配はまるでない。

民意の総体にかなった政権であるはずもないが、多くの民意がそれを許してしまっている。ひどいとわかっていてもしょうがないと思う人もいれば、積極的にそこにすり寄ってゆく人もいる。もちろんそんなの絶対だめだと思っている人も少なくはないのだが、全体から見ればけっきょく少数派でしかない。そうして、もっとも多いのは、「どうでもいい」と思っている人たちだろうか。

そうやって国が壊されてきた。

この国は、政治や経済の権力を持っている者のやりたい放題にされてしまうような歴史風土(=社会構造)になっている。

天皇がいる国だからだろうか。みんな天皇のようにやさしくてあきらめがよすぎるから、こんなひどいことになってしまう。

人は、ときめく対象を持っていなければ、生きにくい生を生きることができない。ときめく心の象徴として、天皇が存在している。だから、天皇がいたらいけない、とも言えない。天皇を支配し利用する者の存在が、この世界を生きにくいものにしてきた。

遠い昔には、権力者のいない時代があった。遠い昔に帰れ、というのではない。遠い昔があったということを知るべきであり、遠い昔のように天皇との直接的な関係を結ぶべきだということ。それは「魂の純潔に対する遠いあこがれ」を手放さないことであり、天皇は「魂の純潔」の象徴なのだ。

言い換えれば、「魂の純潔に対する遠いあこがれ」を生きることができるなら天皇はいなくてもよい、ということであり、だから民衆は天皇がいなくなることをけっして拒まない。天皇がいなくなるのを受け入れることは、天皇との直接的な関係を結ぶことであり、「魂の純潔に対する遠いあこがれ」を生きることだ。

この国の神道における「かみ」は「隠れている」のであり、もともと天皇は「隠れている」存在である。だから、天皇がいるところを、かつては「内裏(だいり)」といった。そうやって天皇がいなくなるのを受け入れることは、それ自体が天皇との直接的な関係を結ぶことであり、天皇を祀り上げることになる。

民衆は、普段から天皇のことを思い、天皇のことを生活の規範にして生きているわけではない。天皇は「隠れている」のであり、天皇を忘れて生きることが、天皇とともに生きることなのだ。忘れてはいるが、いつでも思い出すことができる、この世のもっとも美しく魅力的な存在として。

 

 

天皇は、日本人の歴史の無意識に宿っている。日本列島の歴史において、天皇を祀り上げることは、人と人がときめき合い助け合い連携してゆく集団になるためのよりどころになってきた。つまり民衆社会が独自に天皇との直接的な関係のもとでのそういう集団性を持っているからこそ、権力社会に好き放題のことをされてしまう。この国は、ひとまずそういう社会の構造になっているらしい。

この国の民衆社会では、だれもが天皇を祀り上げながら「魂の純潔に対する遠いあこがれ」を抱いているのに、それでもというかだからこそというか、あんな醜悪な政治や経済の支配者たちから好き題にされてしまう。

ともあれ、この国でほんとうに「民主主義」が機能したら、こんなにもひどい政治経済システムの世の中になるはずがないのだ。

選挙に行かない民衆がいけないのだし、そういう民衆の心を惹きつける魅力的な政治家や資本家があらわれてこないのがいけない。見かけの良さや弁舌の巧みさで人気になる政治家はいるだろうが、民衆の心の「魂の純潔に対する遠いあこがれ」に訴える力を持った政治家はなかなか現れてこない。それこそが民衆が民衆であることの根拠なのに、その心を揺り動かされないから、多くの民衆が選挙に行かない。

山本太郎は、民衆の中のその心を揺り動かして大きなムーブメントを生み出すことができるだろうか。注目はしているが、僕にはわからない。この国は、このまま壊れ続けてゆくのだろうか。

 

 

大事なのは、自分ではないし、家族でも国家でもないし、人類ですらない。人類滅亡はめでたいことであり、人類を超えた「魂の純潔」こそが大事なのだ。人は、「魂の純潔」持って生まれてきて、物心がつくにしたがってそれを失ってゆく。そうしてそれは、死ぬまで取り戻すことができないし、取り戻そうとすることが生きることだともいえる。

「もう死んでもいい」という勢いで人間性の自然としての「魂の純潔に対する遠いあこがれ」に殉じてゆくときにこそ、人の命や心は活性化する。それは人間性の悲願であり、そこのところで盛り上がらないと世の中は変わらないし、無関心層も投票には行かない。

「もう死んでもいい」という勢いで盛り上がるお祭りが必要なのだ。その勢いが、生き延びることに執着する政治家や資本家たちの策謀を凌駕しなければならない。たぶん、人々が搾取され続けるこの閉塞状況は、もはやそういうかたちでしか突破できない。

必要なのは、「正義」ではなく「お祭り」であり、人と人のときめき合う関係なのだ。そして、もともと天皇はその関係が生まれてくるよりどころとして上代奈良盆地で機能していたのであり、それが現代まで続く民衆社会の伝統になっている。

日本国憲法第九条などという能天気な法律は、人と人が他愛なくときめき合い助け合う社会でしか成り立たないのであり、日本列島にはそれを成り立たせる伝統がある。

たしかに日本人はかんたんにあきらめてしまうところがあるのだろうが、同時に他愛なくお祭り騒ぎで盛り上がってゆこともできるわけで、現在の右翼政治家と新自由主義の資本家が結託して作っている社会システムが盤石だともいえないのではないだろうか。

それとも、このままいくところまで行って、あの敗戦のときのように社会が完全に壊れてしまわなければ変わることもないのだろうか。

現在のこの国は、社会全体の資産(GDP)の成長は横ばいのまま、下層の庶民で貧困化が進み、上層部の企業資本家の資産は増えていっている。つまり、下から上に吸い上げるシステムが出来上がっている。

現在のこの社会は、壊れつつあるのか、それとも壊れてしまっているのか?壊れつつあるのなら、まだまだ変わらないのだろうし、壊れてしまっているのなら、変わってゆく動きが起きてきているにちがいない。

社会のシステムだけではない。人々も心も壊されている。

 

 

「バカ殿」がいる社会というのは困ったものだ。「総理大臣」という玩具さえ与えておけば、まわりの者たちは好き放題のことができる。彼らは、バカ殿に「忖度」しているのではない。バカ殿を「操っている」のだ。そうして、「バカ殿の命令」という名のもとに部下たちを徹底的に支配している。つまり、権力社会の内部そのものにおいて、天皇制の構造が悪用されている。

しかし、だから天皇制を廃止すればよいという話にはならない。「バカ殿」と「天皇」はまるで違う。天皇は、「権力」という玩具なんか欲しがらない。バカ殿が権力を欲しがらないで、天皇と民衆の直接的な親密な関係のように、権力者の部下たちとの直接的な親密な関係が結ばれていれば、バカ殿を操る権力者も部下たちの抵抗が強くて好き放題のことができなくなる。

たとえば2016年のあのとき、天皇が民衆とのあいだで「譲位=退位の意向」の合意を結んでしまえば、権力者ももうそれに反対できなくなった。それと同じことだ。総理大臣が取り巻きたちとの関係を飛び越えてその部下たちとの直接的な関係を結んでしまえば、部下たちは上司に支配されることなく率直に進言してゆくことができる。

しかし現在のバカ殿と取り巻きたちは、権力に執着しつつ、部下たちを徹底的に支配している。というか、社会全体がそうやって天皇制を悪用した構造になってしまっている、ということだろうか。

現在のこの国のバカ殿は、取り巻き連中の部下のことも民衆のことも、知ったことではないらしい。取り巻き連中に祀り上げられていたれそれで満足だし、この国の下流社会がどんなひどい状況になっているのかということなど、おそらく何も知らないし、興味もないのだろう。

生まれついての「嫌われ者」は、自分をちやほやしてくれる人間以外に対する興味はない。世の中には、そういう人間はたくさんいる。

 

 

たぶん現在の課題は、天皇制を廃止することではなく、ほんらいの天皇制を取り戻すことにあるのだろう。

この国においては天皇こそが権力者を縛る機能としての「憲法」であり、天皇は、権力者を支配するのではなく、民衆との直接的な「ときめき合う」関係を結ぶことによって、権力者と対峙している。それがまあ「象徴天皇」という起源以来の天皇の本質であり、今にして思えば平成天皇は、われわれの想像以上にそうした天皇像を深く大胆に問い続けた人だったのかもしれない。

天皇であることのラディカリズムというものがある。天皇は、無力な存在であって、無力な存在ではない。

昭和天皇に戦争責任がなかったとは言わないが、「いつ死んでもかまわない」という覚悟はA級戦犯になった権力者たち以上に確かに持っていたはずで、死んだ気になってというか、「死んでもいいのなら俺だってとっくに死んでいたさ」といいたい気持ちを呑み込んで戦後も天皇であることを引き受けたのだろう。

「俺は戦争責任を果たすことを許されなかった」……昭和天皇は、息子の皇太子(平成天皇)にそう語り伝えたに違いない。

天皇の戦争責任なんて、もうでもいい。そうやって天皇を裁いて処刑したら、ますます「天皇崇拝」が盛り上がって、右翼だけでなく民衆の心にも火をつけてしまうことだろう。

われわれ民衆が裁かなくても、平成天皇はみずから「贖罪」の旅を続けたし、それはきっと新天皇にも引き継がれるに違いない。

この国で戦争責任を感じていないのは右翼たちばかりで、それは天皇家の心とは正反対なのだ。

 

 

天皇は、人類普遍の夢としての「民主主義」の象徴でもある。天皇が存在するかぎり、日本列島の民衆は「魂の純潔に対する遠いあこがれ」をけっして手放さない。つまり平成天皇は、それによって権力社会と対峙してきた。天皇には政治権力など何もないから、平成という時代の停滞化・衰退化の流れをどうすることもできなかったが、民衆が「魂の純潔に対する遠いあこがれ」を手放さないことのよりどころにはなってきた。だから「かわいい」のムーブメントをはじめとするポップカルチャーが花開いて海外に発信されてもいったわけで、それは、本質的必然的に権力支配に対して無力であるほかないのだが、たとえば敗戦後の復興のときのように、権力支配が崩壊して新しく生きなおすときには大きな力になる。

日本列島の民衆は、その本質において「魂の純潔に対する遠いあこがれ」を生きているがゆえに権力支配に対して無力であるし、その無力さが戦後復興のダイナミズムを生み出した。それはつまり、心はいつだって「権力支配が崩壊した世界」を生きているということであり、だからこの国では「権力支配を奪い取る」という「革命」が起きない。

マルクス主義者は「労働者独裁」などというが、民衆が権力支配を奪って理想の社会が実現した例などひとつもない。だからといって政治家が権力を持てばいいという話でもない。「権力が存在しない社会」こそ理想であり、じつはそこにおいてこそ人間社会はもっともダイナミックに活性化する。そうやって、人と人が他愛なくときめき合い助け合う「祭りの賑わい」を基礎にした社会が生まれてくる。それが人間社会の起源のかたちであり、究極のかたちでもある。そして、そんな社会を目指すためのよりどころとして、この国では天皇が祀り上げられてきたし、ヨーロッパでは宇宙の支配権力者としての「神(ゴッド)」とはべつに、「処女マリア」とか「ヴィーナス」とか「聖母マドンナ」とか「ジャンヌ・ダルク」とか「自由の女神」とかのさまざまな「女神信仰」が生まれている。

 

 

天皇は無力であり、民衆もまた無力である。無力であることは理想を夢見ていることの証しであって、「意識が低い」のではない。むしろ、高すぎるのだ。

民衆が祀り上げるのは、「権力」でも「正義」でもない。「魂の純潔」なのだ。「魂の純潔」を象徴する存在を祀り上げて「祭りの賑わい」が盛り上がる。

「魂の純潔」は、この世界にはない。この世界を超えた「異次元の世界」で生成している。人の心は、「異次元の世界」の「魂の純潔」を夢見ている。つまり、この生は「もう死んでもいい」という勢いで活性化するということ。そういう勢いの気配を祀り上げるのであり、そういう勢いの気配をもっとも豊かにそなえているのは「処女=思春期の少女」である。そうやって「女神」や「天皇」が祀り上げられる。「女神」を祀り上げて「祭りの賑わい」が盛り上がる。

選挙の候補者のもっとも強力なアピールは、男であれ女であれ、「正義=政策」ではなく、「もう死んでもいい」という勢いの「処女性」なのだ。そうやって土下座までして情に訴えてゆく。良くも悪くもこの国は、理屈よりも情が優先する社会であり、たとえただの演技であっても、わが身を捨てて訴える姿勢は人の心を揺さぶる。

「もう死んでもいい」という勢いを持ったヒーローが登場してこなければ、無関心層を巻き込んだ投票行動は生まれてこない。山本太郎は、はたしてそんなヒーローになることができるだろうか。

民衆は「感動=ときめき」がなければ動かないし、お金だけでなく「感動=ときめき」も奪われている社会である。

右翼勢力はもう、人を選別し、国民の同一化の邪魔になる異分子を排除して国民を分断することばかり仕掛けてくる。政治家や資本家や知識人から下々の庶民にたるまで、「正義」を振りかざすしか能のない右翼たちが、人としてそんなにも美しく魅力的か。醜い「嫌われ者」ばかりではないか。どうしてそんな人間たちだけが選ばれねばならないのか。「嫌われ者」ほど声高で主張が激しく、人を支配しにかかる。彼らは、支配することによってしか他者との関係を結べない。

 

 

人類史において、人が一か所にたくさん集まってきて人と人の関係がややこしくなってくれば、とうぜん人を支配したがる嫌われ者が生まれてくる。そうやって人を支配することによってしか生きられない嫌われ者たちが集まって支配階級を構成するようになってゆく。これが、上代奈良盆地における「大和朝廷」の発生であり、べつに右翼たちが信じるような「神武東征」によって起こったことではないし、一般の凡庸な歴史家たちがしたり顔して語るような九州や出雲や吉備の豪族が集まってきてつくったというのでもさらにない。

大和朝廷発生の理由は、そのころの日本列島で奈良盆地にもっとも大きな都市集落があった、ということにある。それ以外に、どんな考古学的事実があるというのか。

人類史における国家権力の発生は、無際限に大きな集落が生まれてくればどのようなことが起こるかという問題なのだ。もともと集落が大きくなりすぎればそこからこぼれ落ちてゆく個体が生まれてきてそれによって人類拡散が起きるという歴史段階を何百万年も続けてきたわけで、こぼれ落ちてゆくものがいないままどんどん集落が大きくなってゆけば、そりゃあ排除しようとする衝動がたまってくるし、排除しようとする者が生まれてくる。しかし大多数は排除しようとしないし、したがってだれもこぼれ落ちてゆかない。そういう状況から、排除しようとする衝動が自家中毒を起こして国家権力が生まれてきたのだ。つまり民衆の、他愛なくときめき合い助け合う関係からこぼれ落ちていった「嫌われ者」たちが、国家権力をつくっていったのだ。

権力者は、本能的に民衆に対する悪意を持っている。その悪意=憎悪とともに支配欲や差別意識が膨らんでゆく。

 

 

天皇を担いで大和朝廷をつくった者たちなんて、ただの嫌われ者の集団だったのであり、現在の右翼政権だって何も変わりはない。この国の権力者は、民衆の代理・代表として天皇を崇拝してゆく。崇拝しつつ支配してゆく。まるで駄々っ子のように、天皇にすがりついて天皇を支配してゆく。天皇を自分たちのものにしつつ、民衆と天皇の直接的な関係を分断してしまう。そうして「天皇の命令」の名のもとに民衆を支配してゆく。彼らは、他者を支配することによってしか他者との関係を結べない。それが、彼らの本能であり、生きる流儀なのだ。 この世界の人と人の関係をすべて「支配=被支配」の関係にしてしまえば、支配欲の強い嫌われ者ほど階層の上位に上がってゆくという社会になってしまう。それが「国家」のシステムであり、そのカウンターカルチャーとして「民主主義」が生まれてきたし、日本列島では古代のときからすでに「神道」という民衆自治の思想が生まれていた。起源としての神道は、民衆が支配者との関係から離れて直接「かみ=天皇」との関係を結ぶという、いわば民主主義だったのだ。

とうぜんのことだが、嫌われ者ほど「自助努力」に熱心だ。そうやって階層をのぼってゆく。それに対して「民主主義社会」とはだれもがときめき合い助け合っている社会のことで、そこには「自助努力」という概念はない。だれもが「もう死んでもいい」という勢いで他者に手を差し伸べてゆくのだから、「自助」などという発想は生まれてこない。そしてそれが、原初以来の人類集団のかたちであり、そうやって進化発展してきたのだ。「民主主義」は、そういう原初のかたちに遡行しようとするコンセプトであり、それが人類社会の究極の理想でもある。

人は、だれもが心の底にそういう究極の理想を抱いている。だから、山本太郎のような純真無垢な熱血漢が生まれてくる。

だったら、応援する側だって、それなりに心意気を示さなければならない。あなたは、たとえこの国が滅びることになるとしても消費税はもう廃止するしかないのだ、という覚悟で応援してゆくことができるか?「もう死んでもいい」という勢いがなければ「お祭り」は盛り上がらない。「自分が生き延びるために」とか「国が存続するために」とか、もうそんな「正義」など、どうでもいい。誰もが目の前の「あなた」を救いたいという気持ちになってゆくことができるかどうか、それが問題だ。

2017年選挙のときの枝野幸男から2019年選挙の山本太郎へ……民衆の心はつねに「正義」以上の「感動=ときめき」を求めている。もしも山本太郎が動かなかったら、今回の選挙は何の盛り上がりもないまま自民党圧勝で終わってしまうことだろう。まあ一部で盛り上がってもトータルでは圧勝するのかもしれないが、「こんなひどい政治はもういいかげんにしてくれ」という世の中の機運は、たとえ少しずつでも確実に進行しているに違いない。なぜならそれは、間違っているという以前に、醜いからだ。

この国が天皇を祀り上げているかぎり、「醜いことには耐えられない」という人の心が消えてなくなることはない。その心を基礎にして、人は「感動」という体験をする。誰の心の中にも「美意識」は宿っているし、「美意識」を封じ込めて世の中の政治や経済が進行している。稀代の「バカ殿」のまわりにうごめく政治家も官僚も資本家も、自分がいかに醜いことをしているかという自覚がまるでない。彼らは、民衆との直接的な関係が生じない場に立って、民衆を支配し続けている。

そうして民衆の多くは、うんざりしながら途方に暮れている。もちろん民衆の中には、権力社会に洗脳されている者たちもいれば、反発している者たちもいる。しかし、どっちにしてもそれらは一握りでしかない。

世の中は、壊れてしまったのか、壊れつつあるのか。

現在、民衆の「感動」を熱く広範囲に組織できる政治家は、山本太郎ひとりかもしれない。彼のことを僕は、踊念仏の「一編」の再来だろうか、と思ったりする。江戸時代を通じて何度も散発的に出現した「おかげ参り」騒動とか、幕末の「ええじゃないか」騒動とか、明治以降にも何度も起きている「米騒動」とか、そのような民衆のお祭り気分のエネルギーは、この国の伝統として現在にもなお蓄えられてあるに違いない。

新しい時代は、到来するのだろうか。それを祝福するようにして「お祭り」が盛り上がってゆく。

 

 

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キンドル」から電子書籍を出版しました。

『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』

初音ミクの日本文化論』

それぞれ上巻・下巻と前編・後編の計4冊で、一冊の分量が原稿用紙250枚から300枚くらいです。

このブログで書いたものをかなり大幅に加筆修正した結果、倍くらいの量になってしまいました。

『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』は、直立二足歩行の起源から人類拡散そしてネアンデルタール人の登場までの歴史を通して現在的な「人間とは何か」という問題について考えたもので、このモチーフならまだまだ書きたいことはたくさんあるのだけれど、いちおう基礎的なことだけは提出できたかなと思っています。

初音ミクの日本文化論』は、現在の「かわいい」の文化のルーツとしての日本文化の伝統について考えてみました。

値段は、

『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』上巻……99円

『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』下巻……250円

初音ミクの日本文化論』前編……250円

初音ミクの日本文化論』後編……250円

です。

新天皇が背負っているもの

 

平成から令和になって、時代の気分が少し変わるのだろうか。変わらなくはないような気もする。なんのかのといっても天皇制は、歴史の無意識として人々の心の底に根付いているのだろう。どう変わるかはわからない。しかし「変わった」という思いは、だれもが心のどこかしらに抱いている。

それに新しい天皇と前の天皇は同じ人ではないし、天皇に対する民衆が抱く印象も同じではない。

平成は、天皇の人気というかカリスマ性が上昇するにつれて、世の中も右傾化していった。おそらくそれは天皇が望むことではなかっただろうが、そのカリスマ性によって、避けがたくナショナリズムを培養してしまう。

もともと民衆にとっての天皇は、「国家制度=憂き世のしがらみ」の鬱陶しさから逃れるためのよりどころだったのであり、国家権力を超える存在として祀り上げているのだ。したがって天皇はつねに国家権力の外に立っているし、権力者とは非対称的な存在なのだが、だからこそいいように権力者から支配されてしまう。つまり、天皇は本質的に「無力な支配されるもの」であり、権力者のアイデンティティは旺盛な支配欲の上に成り立っている。天皇は本質的であればあるほど民衆から慕われるし、権力者からはナショナリズムを煽って民衆を支配するための道具にされてしまう。そして、権力者の天皇に対する崇拝は、そのまま天皇を支配しようとする欲望でもある。彼らにとってもっとも崇拝できる対象は、支配欲も所有欲も持たないこの世の外の存在であり、天皇がそういう存在でなければ許さない。そして、天皇がそういう存在であるということは民衆もまたそういう存在になっているということであり、そうやって権力者が好き勝手に支配できる社会が出来上がってゆく。

 

 

平成天皇が退位の意向を示したとき、権力の側にいる者たちのほとんどは、それに反対した。なぜなら天皇は「無私の人」であらねばならないし、自分たちが自由に操ることができる存在であらねばならないからだ。

天皇はいてくれるだけでいい」と彼らはいう。それはまあ民衆の気持ちも同じだが、だからこそ「天皇がそれを望むのならそれでいい」と思う。民衆には、権力の側の者たちのような「天皇はかくあらねばならない」というような支配欲や所有欲はない。

権力者にとっての天皇が「無私の人」であることの根拠は、自分たちが「支配」し「所有」できる対象であることによって確認される。「無私の人」は、この世の存在であってはならない、「神」であらねばならない……彼らの「天皇崇拝」の、なんとエゴイスティックでグロテスクなことか。

支配欲や所有欲や競争心のないものほど、支配しやすい対象もない。それらの欲望を人間性とか知能の本質だと考えるなら、それを持たな天皇なんかただの「ばか」である。彼らは、みずからの欲望を正当化する思考で、天皇を神の世界に押し込め崇拝している。

それに対して民衆の心は、天皇とともに鬱陶しいこの世の外に超出してゆく。「もう死んでもいい」という勢いで超出してゆく。それが「ときめく」という心の動きであり、それによって助け合い連携してゆくのが民衆社会の集団運営の伝統であるのだし、権力者はそのダイナミズムを奪って民衆社会を「物言わぬおとなしく貧しく弱い者たちの集団」にしてしまおうと画策してくる。

天皇を神として崇拝せよ」ということは、天皇と民衆の直接的な関係を切断し、民衆をこの世界に押し込めようとすることだ。

民衆の心は、天皇とともにこの世の外に超出してゆく。民衆は、天皇に「ときめいている」のであって、「崇拝している」のではない。「崇拝」なんて、思考停止している者たちのすることであり、「ときめく」ことができなくなった者たちのすることだ。彼らは、民衆を思考停止に陥らせるために「崇拝せよ」と迫ってくるし、彼ら自身がすでに崇拝し思考停止しているものであるがゆえに、そのことになんの後ろめたさもなく、むしろそれが正義で正当なことだと信じて疑わない。

 

 

天皇制は、民衆をかんたんに支配されてしまう存在にしてしまう装置であると同時に、民衆の心を「もう死んでもいい」という勢いでこの世の外に超出してゆく装置であり、そのとき民衆の心は、権力者に洗脳されているのではなく、権力者をこの世に置きざりにしてしまっている。

日本列島の歴史において民衆は、民衆だけのときめき合い助け合い連携してゆく社会を組織してきた。すなわち天皇制は、「究極の民主主義」であると同時に、「もっとも脆弱な民主主義」でもある。あはれではかなき民主主義、わび・さびの民主主義、無常の民主主義。

まあ人類が究極の理想にたどり着くことなんか永遠に不可能であり、それでも人類は「究極の理想」を夢見て歴史を歩んでゆく。

「究極の理想」とは「魂の純潔」のこと。誰の中にも「魂の純潔に対する遠いあこがれ」は宿っている。だから天皇が祀り上げられるのだし、日本国憲法第九条のような、永遠にかなえられそうもない理想が語られる。アメリカに押し付けられた憲法だというが、アメリカ人のような闘争的な民族でさえそういう理想を語ろうとするのだから、ましてや日本人がそれになじんでゆかないはずがない。少なくともそれが日本列島の民衆の伝統的な精神風土だったから、ひとまずここまで守られてきたのだ。

天皇は、日本国憲法第九条の象徴でもある。日本国憲法第九条を否定することは、天皇を否定することだ。

この世に右翼ほど天皇を否定している存在もない。いやまあ左翼だってそうなのだから、どっちもどっちということだろうか。

 

 

新しい天皇は、どのようにして「象徴天皇」としての道を歩んでゆくのだろうか。

戦後の天皇家の「象徴天皇」を模索する旅は、まだ終わってはいはない。

民衆だって、そのことに対するコンセンサスをきちんと確立しているわけではない。その議論をきちんとしてこなかったのは、あまりにもあたりまえすぎて、疑問を抱く余地のないことだったからかもしれない。

少なくとも敗戦直後の民衆は、その「象徴天皇」とか「人間宣言」というような、これまでとは大きく違う天皇像を、いともあっさりと受け入れていった。それこそが日本列島ほんらいの天皇像であり、戦前の天皇像こそ間違いだった、ということを受け入れるのになんのとまどいもなかったのは、そこに日本列島の歴史の無意識がはたらいていたからだろう。

とまどったのは昭和天皇と右翼たちであり、しかし天皇はそれを受け入れ、右翼たちは納得しなかった。

民衆が受け入れたのなら、天皇に受け入れない理由はなかった。天皇とは、もともと「受け入れる者」であるからだ。

やまとことばというか、古代以来の日本列島の「かみ」という概念は、西洋一神教の「神」とは違う。

「かみ」の「か」は、「気づく」とか「納得する」とか「確認する」というようなこと、「み」は「本質」の語義。

(森羅万象の)本質に深く気づき納得してゆくことを「かみ=かむ」といい、そういう生まれたばかりの赤ん坊のような柔らかくヒリヒリした敏感な心のことでもあり、したがって「かみ」とは「魂の純潔」のことだともいえる。

古代および古代以前の「ひらがな」のやまとことばにはひとつの意味に限定されないさまざまなニュアンスがあり、後世の国家神道では一神教の「神」のような解釈をされるようになってきたが、それもまた「かみ」のひとつの意味ではあった。

「たま」というやまとことばは、もともと「満ち足りた心」というようなニュアンスだったが、仏教伝来以後にだんだん「霊魂」というような意味にもなっていった。それと同じで、民衆が歴史の無意識としてイメージしている「かみ」は、国家神道に執着した権力者が語る「神」とは違う。

もともと天皇は、「かみ」であっても、「神」ではない。

明治以来の大日本帝国憲法教育勅語によって「神」にさせられてきた天皇がほんらいの「かみ」に戻ってゆく旅は、まだまだ終わっていない。

 

 

平成天皇は、皇居内で日常的に行われている宮中祭祀を「民の安寧を祈る儀式」と思い定め、昭和までの「国家繁栄や天皇家万世一系の安泰を先祖の神(アマテラス)に祈る」というコンセプトを払拭していった。おそらく彼には、自分の先祖が神(アマテラス)だという意識はないだろうし、「万世一系」と思考停止してゆくのではなく、もっと科学的に天皇家の歴史を見ようとしていたらしい。だから、古代には朝鮮貴族と天皇家との婚姻があった、というような右翼が怒り出しそうなことをさらっといったりしていた。

そうして日本中を行幸してまわるに際しても、とくに被災地などでは民衆の前にひざまずいて語り合い問いかけるという姿勢を貫いた。それがきっと、彼の思い描く「象徴天皇」としてのたしなみだったのだろうし、世の右翼の者たちにとっては少なからず癇に障ることだったらしい。

彼は、皇太子のころから、ずっと右翼からの批判を浴び続けてきた。

その批判が消えたのは、3・11の被災地を何度も訪問するとともに、テレビから国民に肉声のメッセージを送ったときからだった。彼のその言葉と行為は、国民から圧倒的な支持を得た。そうなるともう、右翼も批判することができなくなっていった。

退位のときのテレビメッセージにしろ、平成天皇の言葉は、つねに権力者の意向を凌駕してきた。天皇には何の権力もないのに、それでもそうなのだ。戦前の天皇は、帝国主義イデオロギーの上に乗っかっていた。そのバックボーンがなくなっても、それでもそれ以上の存在感を右翼の前に見せつけた。

皇太子のときからずっと民衆との対話を続けてきた彼は、いざとなったら民衆は自分の味方をしてくれるということを、肌で知っていた。皇居内の宮中祭祀に出ることをけっして欠かさなかったのも、その祈りが通じることを信じていたというか、なんとしても通じさせたかったのかもしれない。

 

 

天皇は、権力者のように国家神道というイデオロギーを持ち出さなくても、それ以上に民意を集めることができる。まあ、この国のスーパースターなのだ。天皇がその気になれば、100万人の大集会だって生み出せる。権力にとって、それはきっと脅威だろう。だから、高いところに祀り上げ、おとなしくさせておきたい。

権力にとって天皇は、諸刃の剣なのだ。それは、民衆を支配するためのもっとも有効な道具であると同時に、民衆と天皇が直接つながってしまえば、権力が無効にされてしまう。そうやって民意に押され、平成天皇の退位は許さないという権力側の方針を引っ込めるしかなくなった。

天皇の言葉がなぜそんなにも民意を動かしてしまうかといえば、天皇の存在理由が民衆との関係の上に成り立っているからだ。民衆が存在しなければ、天皇もまた存在できない。天皇が民衆との親密な関係を結ぶことは、天皇に負わされた責務というか天命であり、平成天皇はそれにしたがって、いつも宮中で祈りの儀式を捧げ、被災地を訪れてひざまずき、退位の意向を表明した。それは、自分でしようとしたことではない。天(=自分の運命)と民衆の両方からさせられたことであり、基本的に天皇は「支配されるもの」であって、「支配するもの」ではない。

平成天皇は、天命にしたがって退位の意向を表明した。彼にとって毎日の宮中祭祀や被災地訪問ができなくなることは、天命に背き民衆を裏切ることを意味する。だから民衆は、それを察して賛成した。

右翼ばかりが、自分たちの勝手な都合でそれに反対した。天皇が何もしないことは、彼らにとっては好都合なことであり、それこそがもっとも望むことだともいえる。それは天皇が「神」になることだし、明治以来の大日本帝国のように、「神=天皇」の命令のもとに好き放題に民衆を支配できる。彼らは、天皇を徹底的に支配しようとする。それは天皇に何もさせないことであり、この世の外の「神」として祀り上げることであり、彼らの天皇に対する「支配欲」と「崇拝」は、一枚のコインの裏表だ。

 

 

平成天皇が退位の意向を表明したとき、右翼たちは、じゃあ天皇天皇のままで皇太子を「摂政」にして公務に当たらせよう、ということで意見が一致した。彼らにとって天皇が何もしなくなることはこの上なく好都合なことで、これで大日本帝国の復活だ、とわが世の春を叫んだ。

皇太子の摂政なんか、自由に操ることができる。何はともあれ天皇は唯一不可侵の存在だが、皇太子の代わりなんかいくらでもいる。べつに秋篠宮でもその従兄弟たちでもかまわない。古代の皇太子なんか何人も権力者によって殺されているのであり、もともと皇太子は殺してもいい存在なのだ。

天皇家における皇太子がいかに窮屈で危険で不安定な存在であるかということはもう天皇家1500年の伝統であり、その受難と苦悩は、昭和天皇も平成天皇も新天皇も、いやというほど味わってきた。皇太子なんか、右翼たちから好き勝手に批判・非難され支配され続けねばならない。

大正天皇は、晩年の5年間を公務から退き、皇太子である昭和天皇が「摂政」として公務を代行した。この5年間は、天皇家にとって暗黒時代だった。大正天皇は不治の病に陥ったのではない。たまたまちょっとした病気になったことを口実にして辞めさせられた。その病気が致命的物出なかったことは、彼が辞めたあと5年間も生きたということが証明している。彼は天皇としてはあまりにも自由奔放すぎた。明治天皇が権力者に課せられた天皇像を忠実に演じ続けたのとは対照的だった。ときあたかも「大正デモクラシー」の風潮が起こっており、明治生き残りの権力者たちは、大いに不愉快で不安だった。だから、自由に操ることができる若い皇太子を摂政にして、帝国主義圧政の流れを取り戻そうとした。そしてその思惑通り、皇太子は徹底的に管理され、天皇は「病気療養中」という大義名分のもとに、まるで生ける屍であるかのように喧伝されながらずっと皇居内に幽閉されてしまった。

天皇にとっても皇太子にとっても、完全に自由を奪われ、耐えがたい屈辱を味わい続けた受難の日々だった。

もしかしたらあの無残な敗北を迎える太平洋戦争に向かう大陸侵略の流れの素地は、この5年間につくられたのかもしれない。

 

 

その5年間の天皇家の屈辱は、昭和天皇から平成天皇へと語り継がれているに違いない。であれば、とうぜん新天皇も知っているのだろう。

平成天皇が最初に会議の席で退位の意向を申し出たのは、2010年70歳代後半のころだったらしい。2016年のテレビメッセージの6年前、このときまわりは、じゃあ「摂政」を置こうと提案したが、天皇は、それを断固として拒否した。理由はもちろん、あの大正末期という「悪しき前例」を繰り返すわけにいかない、ということだった。彼にすれば、自分が幽閉される悲惨・屈辱以上に、摂政になった皇太子に昭和天皇と同じ苦しみを味わわせたくないという思いがあったのだろう。雅子妃だって、生きた心地のしない日々がなおふくらんでゆく。そのとき皇太子はすでに40歳を越えており、十分に天皇としての公務を果たす能力を身に着けている。

まあ、皇太子であることがどんなにしんどいかは、皇太子になったことのあるものでなければわからない。父として、そのしんどさから解放させてやりたかったし、もはや自分にはきわめられそうもない「象徴天皇」としての道をきわめてもらいたい、という思いもあったかもしれない。

平成天皇がやり残したことのいちばんは、おそらく、この国が天皇の名のもとに侵略していった朝鮮・中国への「贖罪」の旅だったのではないだろうか。サイパンなどの東南アジアの島々には行くことができたが、朝鮮・中国には、微妙な政治問題の壁に阻まれて、ついに行くことがかなわなかった。

そしてもしもそれが新天皇によって実現するとすれば、そのときこそ雅子妃の元外交官としてのキャリアが生かされるのだろう。

天皇は、最初の一般参賀の「お言葉」で、「諸外国と手を取り合って世界の平和を求め」というようなことをいっていた。それは、朝鮮・中国への訪問の旅の実現を視野に入れつつ、元外交官としての雅子妃に対する信頼の意味も込められているのだろうか。

それにしても、平成天皇が前例を覆して民間の娘を嫁に選んだのも、新天皇が外交官の娘を嫁にしたのも、天皇家の深慮遠謀だったのだろうか。そうやって少しずつ明治以来の右翼権力から離れてゆき、最後には外交官の娘と朝鮮・中国に行く。それが、昭和天皇が果たせなかった「戦争責任」の償いであり、民衆との直接的な関係を結ぶ「象徴天皇」になるための道筋だったのだろうか。

戦後の象徴天皇制は、天皇を右翼権力から民衆のもとに返すことだったのであり、民衆はたちまちもろ手を挙げて受け入れたものの、しかしその実現への道はけっしてかんたんではなかった。

いまだに右翼たちは、自分たちこそ天皇の正当なしもべだと自慢げに主張している。右翼ほど天皇を蹂躙している存在もないというのに。そしてそのことは、天皇家がいちばんよく知っている。彼らはもう、右翼権力に介入されることが、骨身にしみてつらいのだ。

われわれは、天皇を右翼権力から取り戻すことができるだろうか。僕は、天皇制がいいのか悪いのかというような政治的なからくりのことはよくわからないが、とにかく天皇は、右翼の専有物ではないのだ。

 

 

戦後の天皇は、権力イデオロギーとは無縁になったのに、なお存在感が増した。昭和天皇崩御のときの自粛ムードは異常だった……などとよくいわれるが、それは「他者の死をかなしむ」ということが深く広く共有されていったというだけのことであり、3・11の大震災のときだってそうだった。「かなしみ」こそが人と人の豊かなときめき合う関係をもたらす。「かなしみ」に浸されている心においてこそ、世界はより豊かに輝いて立ち現れる。

天皇は、人の心の「かなしみ」と「ときめき」の象徴として存在している。べつに、絶対的な権威でも神でも統治者でもない。もとはといえば、ただの村祭りのアイドルだった。起源論としてはそういうことになるし、しかしだからこそ、統治者よりももっと「超越的」な、けっして滅ぼすことのできない存在として祀り上げられてゆくことになった。

民衆が天皇と共有しているのは、右翼のような権威主義的な心でも支配欲でも差別的な心でもない。右翼は、天皇と何も共有していないから天皇を平気で支配してゆくことができるし、いつまでたっても「象徴天皇」というイメージを理解できない。

民衆と天皇のあいだには、「ときめき」と「かなしみ」が共有されている。だから被災地訪問の現場では、被災者とのあんなにも親密な関係が生まれる。

「ときめき」と「かなしみ」が共有されていなければ、助け合い連携してゆく集団のエネルギーは生まれてこない。われわれは、太平洋戦争の敗戦や東日本大震災によってそのことを体験したのであり、それが日本列島の民衆の集団性の伝統にほかならない。

原初の天皇は、無主・無縁の混沌とした賑わいの中からときめき合い助け合い連携してゆく集団から生まれてきたのか。それとも権力者の統治支配の秩序のもとで結束してゆく集団として生まれてきたのか。後者が戦前の大日本帝国であり、敗戦後のこの国は前者の集団性を基礎にして始まったのであり、それこそが民衆の集団性の伝統なのだ。

原初の天皇は、統治国家の王として登場してきたのか。それとも混沌とした原始的な集団の賑わいの中で、いつの間にか人々から祀り上げられていたのか。日本列島の文化や集団性の伝統を考えるかぎり、後者のかたちで天皇が生まれてきたに違いないのだ。そうでなければ東日本大震災の、あの連携の盛り上がりは生まれてこないのだ。

 

 

10

天皇の言葉がなぜ権力者のそれを凌駕して民衆に支持されてゆくのかといえば、権力者が民衆を支配してゆく存在であるのに対して、天皇は、民衆みずからが祀り上げてゆく存在であることにある。だから、天皇の言葉は、そのまま民衆の言葉でもある。

民衆は権力者の言葉を受け入れても、それをそのまま自分の言葉にすることはない。つまり、支配されても、洗脳されることはない。現在の総理大臣の支持率がどうのといっても、人々は「あきらめている」のであって「合意している」のではない。誰も、総理大臣の言葉(=思い)を自分の言葉(=思い)になんかしていない。あきらめてしまえば、あんな総理大臣でもかまわなくなってゆくだけのことだろう。

ネトウヨの騒々しい差別ヘイト発言だって、何となく黙認されてしまう。

しかし、だれも合意していない。とうぜんカウンターの動きだって起きてくる。天皇が右翼権力に対峙していてくれるなら、民衆だって踏ん張ることができる。

この国における民意の形成の主体は天皇であって、権力者ではない。民衆は「感動」して動くのであって、「正義」に合意して動くのではない。気分で動いて何が悪い?

そして右翼は、天皇のもっともよき理解者ではなく、もっとも天皇を蹂躙する者たちである。天皇は、国家権力を甘んじて受け入れているものであるが、国家権力という「正義」を体現しているのではない。国家権力に支配されつつ、国家権力を超えて存在している。そしてそれは民衆の願いでもあり、だから天皇は民衆の心に寄り添うことができるし、民衆もまた、天皇の心を自分の心とすることができる。

したがって民衆は、右翼のように天皇を崇拝しているわけではない。もっと親密で他愛ない「ときめき」がある。生まれたばかりの赤ん坊のような、というか。

 

 

11

近代の天皇家は、大日本帝国が振りかざす「正義」に蹂躙され続けてきた。そのもっとも象徴的な事件が、「大正天皇の幽閉」だったのかもしれない。大正天皇は、よくいわれているような病弱な人だったのでも知能が劣っていたのでもない。政府の管理統制の圧力に抵抗して自由なふるまいをしすぎただけなのだ。そういう意味で、彼こそまさに「大正デモクラシー」の象徴だったともいえる。だから、幽閉されたときはきっと無念だったろうし、権力の操り人形として摂政にさせられた若い昭和天皇だって同じだったに違いない。だから彼は、天皇になってもあまり人に心を開かなかった。そしてその心の闇を平成天皇は知っていたし、父の背負った「(若き日の)無念」と「(戦争の)罪」にどう決着をつけるかという課題とともに平成という時代を歩んできたわけで、あんなにも無邪気な微笑みを振りまきながら、しかしその言動や行動の中味は、あんがい強情でしたたかだった。

まあ明治維新のときだって「孝明天皇は殺されたのかもしれない」という噂が飛び交っているくらいだし、天皇家はつねに権力社会からの圧迫にさらされ続けてきた。

大日本帝国の権力者にとっての天皇は、「ただの政権運営のための道具だ」という意識が頭の中に刷り込まれている。それはもう彼らの本能のようなもので、崇拝しつつ徹底的に支配管理してゆく。そもそも古代の天皇と権力者の関係がそのようなものだったし、起源としての天皇が「処女の巫女」だったのであれば、天皇を支配管理することは、処女を強姦するようなことだ。それはきっと、とも気持ちのいいことにちがいない。そうやって彼らは天皇を崇拝しつつ、強姦しまくっている。

直近の話題では、秋篠宮が「政府に何をいっても<聞く耳持たない>という態度で一蹴されてしまう」といっていたが、それはもう、明治維新のときからずっとそうだったし、この国の権力社会の歴史の無意識(=本能)だともいえる。

 

 

12

さて、新天皇は、これからどのように歩んでゆくのだろうか。「象徴天皇」としての国民との関係を構築するという平成天皇の道半ばだった仕事をどのように仕上げるかは、彼にかかっている。

天皇を軍隊の最高司令官である「大元帥閣下」や「神」に仕立て上げようとしている勢力はまだまだ一定数いるらしいが、それは、天皇の歴史的な本質を冒涜・蹂躙することだ。今となってはもう、その勢力に屈するわけにはいかないし、国民だってきっとそれを支持するだろう。

天皇にとっては、政治から遠ざけられることより、政治に利用されたり支配されたりすることのほうがもっと耐え難いことにちがいない。大正天皇が幽閉されたことだって、政治から遠ざけられたのではなく、政治に支配・拘束されたことにほかならない。言い換えれば、ほんらいこの世の外の存在である天皇が政治に利用されること自体が、権力社会という俗界に幽閉されることにほかならない。俗世界に幽閉しつつ、神の世界に幽閉している。そうやって名前と姿だけは利用しつつ、何もさせないで閉じ込めておく。

民の安寧を祈ることと民を支配し蹂躙することは、もともと相反する行為なのだ。古代以前の天皇は民衆からの自発的な「捧げもの」によって生かされていたが、古代になってからは、権力者が天皇の名のもとに民衆を支配し、「税」を取り立てるようになっていった。明治政府はそのような「大和朝廷の原点」に戻ろうとしたのだし、天皇の起源および本質は、大和朝廷以前にある。

平成天皇による「象徴天皇」への道は、近代天皇家の屈辱の歴史を清算する試みの道でもあった。そうやって被災地への訪問をはじめとしてさまざまなかたちで民衆との対話を繰り返してきたし、毎日のように行われる宮中祭祀も休まず務めて祈り続けてきた。そうして、自分は民衆に守られているということを実感したに違いない。

天皇も、民衆に守られているのだから、がんばればいい。「象徴天皇」の道をひたむきに追い求めていた父親の姿を見て育ったのだから、それを引き継げばいいのだし、引継ぎながら何か新しい展開を見せてほしい。

たとえば、中国・朝鮮に訪問し、現政権が煽っているヘイトスピーチを押し返してほしい、と願うのは期待しすぎだろうか。これこそが平成天皇のやり残したことであり、まあ、好きであろうと嫌いであろうと友好関係を結ぶしかない相手なのだ。

皇太子のときには夫婦ともどもいろいろしんどいこともあったのだろうが、今回の一般参賀においては、なんだか二人とも晴ればれとしていて、まわりの皇族たちの「とりあえず義務を果たしている」という雰囲気とは明らかに違っていた。

 

 

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『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』

初音ミクの日本文化論』

それぞれ上巻・下巻と前編・後編の計4冊で、一冊の分量が原稿用紙250枚から300枚くらいです。

このブログで書いたものをかなり大幅に加筆修正した結果、倍くらいの量になってしまいました。

『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』は、直立二足歩行の起源から人類拡散そしてネアンデルタール人の登場までの歴史を通して現在的な「人間とは何か」という問題について考えたもので、このモチーフならまだまだ書きたいことはたくさんあるのだけれど、いちおう基礎的なことだけは提出できたかなと思っています。

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初音ミクの日本文化論』後編……250円

です。

天皇のかなしみと微笑み

 

「平成」から「令和」に代わったことだし、この機会に「天皇とは何か」ということを考えようよ。凡庸な右翼や左翼のように、すでに分かっているつもりになるべきではない。天皇自身がだれよりも深く切実にそれを問うているというのに、天皇でもないあなたたちがどうしてそんなにもかんたんにわかっているつもりでいられるのか。天皇が、あなたの望む通りの天皇であらねばならない義務など何もない。

天皇は、今どきの凡庸な右翼や左翼が勝手に決めつけているほどかんたんな存在ではない。

あなたたちは、現在の天皇が「天皇とは何か」と問わずにいられない気持ちがわかるか?

天皇は、「天皇でありたい」と思うことも「天皇でありたくない」と思うことも許されない存在であり、「天皇であらねばならない」存在なのだ。それは彼の運命・宿命であると同時に、彼の自由でもある。運命・宿命であるからこそ、どんな天皇になろうと彼の自由であり、自由であるからこそ彼は、死ぬまで「天皇とは何か」と問い続けねばならない。

これはまあ人が生きてあることも同じであり、運命・宿命であると同時に自由でもあり、死ぬまで問い続けてゆかねばならない命題でもある。

みずから選択してこの世に生まれ出てきた人間などひとりもいない。そういうこの生のかたちの象徴として天皇が祀り上げられてきた。日本人が天皇を祀り上げることは日本人であることの運命・宿命であると同時に、自由でもある。

というわけで、だれも天皇がどんな天皇であるべきかということなど望むべきではないし、そんなことは天皇の勝手なのだ。

 

 

戦後の天皇こそそのほんらいの姿であり、戦前に戻してはならない。

天皇のありがたさや美しさというようなものがあるのではない。ありがたく美しい天皇が存在するだけなのだ。つまり天皇は、存在することそれ自体がありがたく美しいのであり、ありがたく美しい存在であろうと努力するべき義務など負っていないし、努力してはならない存在だともいえる。平成天皇だって、そんな努力をしたのではない。ひたすら天皇であるとはどういうことかと問い続けただけなのだ。

あの敗戦によって、大日本帝国憲法が定めた天皇像が否定された。

そのとき右翼たちは大いに混乱し、左翼のほうは天皇不要論まで持ち出した。しかし民衆は、人間宣言をしたその「新しい天皇像」に、何の違和感も持たなかった。もともと抱いていた歴史の無意識としての天皇像があったし、そこに還ってゆけばいいだけだった。ほとんどの民衆は、戸惑うことも混乱することもなかった。なぜなら天皇はいてくれるだけでいいのであり、それだけでこの世でもっともありがたく美しい対象なのだ。むしろ、その「新しい天皇像」こそほんとの天皇だと思った。おそらくそれは、古代以前の奈良盆地における起源としての天皇像だった。

だから、一部の左翼インテリが天皇の「戦争責任」を問題にして騒いでも、ほとんどの民衆は無関心だった。

戦後まもなく始まった天皇の全国行脚は、旗や提灯で熱狂的に迎え入れられた。

そのとき昭和天皇は、どんな気持ちだったのだろう。彼に新しい天皇像のイメージはあっただろうか。おそらくあいまいだった。なぜなら、もともと大日本帝国天皇として生まれ育って大人になった人だったのだから、苦悩や戸惑いと向き合い続けただけだったのかもしれない。彼はとくに「新しい天皇像」を模索する行動も言動も取らなかった。できれば敗戦を契機に譲位したかったのだろうが、皇太子はまだ幼く、皇室典範のことも含めてそれができる環境ではなかった。彼にとっての戦後は、人前に恥をさらしながら生きるようなことだったし、恥を自覚することも許されなかった。新しい天皇とは何か、と問うことも許されなかったのかもしれない。それは、みずからの「戦争責任」をみずからに問うことも許されなかった、ということでもあった。そのとき世の中に「天皇の戦争責任論」や「天皇不要論」が湧き起っていることに気づかないはずもなく、それでも天皇であり続けねばならなかった。彼にとって天皇であり続けることは、「天皇とは何か」という問いを封印することでもあった。

けっきょくその「問い」は、平成天皇に託された。

 

 

この世界のすべてのことは「問う」べき対象であり、「すでに分かっている」という前提で語れるものなど何ひとつない。世界は存在することそれ自体が不思議=神秘なのだ。人の心のはたらきの基礎=本質は、その不思議=神秘に驚きときめいてゆくことにある。

昭和天皇にとっての戦後は、余生に過ぎなかった。おそらく彼にとっての中心的な関心は、天皇であることではなく、魚の学問研究にあった。すなわち、世界の存在に不思議=神秘に驚きときめくこと、それによってはじめて「人間」になれたのかもしれない。彼は、日本列島の伝統的なものにあまり興味がなかった。池には外来種であるブルーギルを飼い、庭には同じくヒマラヤのメタセコイアの木を植えた。そして、大好物の食べものはジャムサンドだったという。そうやって伝統そのものとしての天皇であることから逃れようとしていたのだろうか。そのとき彼にとって天皇であることは、ひとつの「贖罪」だったのかもしれない。少なくともそれを使命・宿命と思いこそすれ、よろこんでしていたはずがない。

左翼の陰謀論者たちはよく、天皇家既得権益などということをいうが、天皇であることは既得権益でもなんでもないし、そんな俗っぽい意識をもったら天皇などやってられない。天皇には「日本国民」という戸籍上のアイデンティティはないのであり、それは、「私有財産」という意識を持つことが許されていないことを意味する。天皇家にどれほどの財産があろうと、それはおそらく宮内庁が管理しているものであって、天皇自身は自分の財産だとも思っていない。天上人が、地上の財産など意識するはずがないではないか。そしてそれは、天皇自身が国民の財産であって天皇自身のものではない、ということを意味している。

天皇はこの国の「生贄」であり、おそらく天皇はそのことを自覚している。日本列島においては、そういう存在こそもっとも尊いのだ。

戦前の昭和天皇は自分を捨てて「大元帥閣下」を演じていたし、戦後は、自分を捨てて「戦争責任」を負うことも許されない身として生きた。たぶん、それが「神の末裔」としての役割だと自覚していた。生まれたときからそのように教育されて育ったのであれば、そういう意識はもう変更できなかったに違いない。彼は、「地上の人」ではなかった。死ぬまで「神の末裔」として生きるしかなかった。

 

 

「神の末裔」の心の世界なんか、われわれにはわからない。「戦争責任」を自覚してはいけない身として生きた人に、われわれがどうしてそれを問うことができようか。天皇の心は、「黄泉の国」のように「闇」であり「空虚」であり「ブラックボックス」なのだ。戦後の彼のあの「無表情」に、いったいどんな内面が隠されていたのだろう。内面などなかったし、内面はきっとあったのだ。そしてそんな内面を引き継いだ平成天皇は、父の「贖罪」を果たすべき役割をみずからに課して生きた。彼は、父とは逆に、いつもにこやかに微笑んでいた。この世のすべてのものを許しているようなその微笑みが、彼が果たすべき「贖罪」の道だったのだろう。

またその微笑みは現在の令和天皇にも引き継がれているし、あの即位式典のときの雅子妃にも伝染していたらしい。彼女は、ついこのあいだまで何度も心の失調を引き起こしていた人とは思えないような、晴れやかな顔をしていた。この国の伝統において皇太子とその妻はけっして幸せな立場とはいえず、結婚前の時代に戻りたいという気持ちになることも少なからずあったかもしれないが、ここまでくればもう、そんな未練や後悔もさっぱりと脱ぎ捨てることができる。あとは、死ぬときが待っているだけだ。女にとって死は、けっして不幸な事態ではない。一部のマスコミには、「これで彼女も元外交官のキャリアを生かして活躍してくれるだろう」というような評価があるらしいのだが、そんな意気込みを持つのは若いときの話で、今はもうそれほどの気負いもなく、ただ母として妻として人生の最後の時間に身を任せようとしているだけではないかとも思える。意外に皇后としての風格を感じさせるたたずまいで、良くも悪くも天皇のほうが若々しかった。

ともあれ、どんな「新しい天皇」になるのだろうか。彼は、戦後の「象徴天皇像」の最後の仕上げをしてくれるのだろうか。

昭和天皇の戦争責任」についての議論は、僕としては不毛だと思えるのだが、政治的な問題としてはいぜんとして残っているのだろうし、これにひとまずの決着をつけないことにはお騒がせなオールド左翼は退場しないのだろうし、韓国や中国との関係のしこりも取れない。現政権は取りたくないとがんばっているし、それを支持するヘイトな民意も一定数あるのかもしれないが、解決しなくてもいいはずもなく、せめて解決に向けた道筋をつける必要はあるに違いない。

人間であれば、だれもがときめき合って生きる世の中になればいい、と思う気持ちはあるではないか。

ヘイトをぶつけ合って分断された世界を生きるなんて、日本列島の伝統ではない。平成天皇や新天皇の「微笑み」は、そうした状況に対するアンチテーゼになっているのではないだろうか。現政権が新天皇をさんざん政治利用したあげくに新天皇から引導を渡される、ということになったらおもしろいのにと思うのだけれど、残念ながら世の中はそんなに甘くないのだろう。

 

 

しかし、この国において天皇の言葉が民衆に対していかに大きな影響力を持つかということは、3年前に平成天皇が退位の意向を表明したときに証明されている。

民衆は、心に響いてくる言葉をいつも待っている。

やまとことばの本質的な機能は、意味を伝えて他者を説得・支配してゆくことにあるのではなく、心と心が響き合うことにある。

そのとき天皇と民衆の心が響き合ったのだ。

民衆は、感動する体験をいつも待っており、感動する対象を祀り上げる。原初の集団においてはそのようにしてリーダーが決まってゆくのであって、サル山のボスのような「統治者=権力者」を祀り上げるのではない。

民衆にとっての天皇は、祀り上げてゆく対象であって、「統治者=権力者」ではない。そのことにおいて、より本質的であり、より日本的なのだ。

人類の社会は、統治者よりも上位に美しく魅力的なリーダーを祀り上げてゆくことによって、より活性化してゆく。そうやってヨーロッパではジャンヌ・ダルク自由の女神や聖母マドンナや聖母マリアが祀り上げられていったし、日本列島ではつねに天皇がいた。

だれだって、心の中にそういう「かみ」を持っている。それは、宗教の「神」や「仏」のようなこの世界を支配・統治している対象ではない。さらにその上の超越的な美の象徴のような対象のことを、ここではひとまず「かみ」といっている。それはまあ、平たくいえば「心のよりどころ」というようなこと。

世界中の人々が心の底で祀り上げている普遍的な「心のよりどころ」は、この世界を支配統治する宗教の「神」や政治の「権力者」ではなく、それらよりももっと超越的な、美の象徴としての「かみ」すなわち「魂の純潔」にある。

古代および古代以前の日本列島の住民は、「神・仏」に支配されているこの世界の向こうの、さらに超越的な「非存在」の世界を見ていた。それはまあ、原始人があの山やあの水平線の向こうには「何もない」と思っていたのと同じ心の動きであり、その「何もない」ということに引き寄せられて地球の隅々まで拡散していった。人は、心の底で「何もない」ということに引き寄せられている。その「何もない」ということの象徴として、古代および古代以前の日本列島の住民は「天皇」を祀り上げていった。それは、人としてもっとも原始的であると同時に、もっとも普遍究極的な心の動きでもある。

 

 

この国の天皇が漂わせているある種の「超越的」な気配というのは外国人にもわかるといわれている。それをまあ一般的には、1500年以上続いてきた王室だから、と解説されることが多いのだが、そんなことではない。1500年と500年の違いをどのように見分けるというのか。人間は、1500年という時間の長さを物理的な実体としてとらえることのできる心のはたらきを持っていない。

人が抱くことのできる「直観」は、そういうことではない。外国人だろうと日本人だろうと、人が天皇の姿や表情に見ているのは、その「無私」の気配であり、その「何もない」ということに引き寄せられるのだ。

だれだってこの俗世界で生きていれば、さまざまな思い(とくに自意識)で心の中をいっぱいにしてしまっている。

だから、天皇のそんな「無私」の気配に、高貴で超越的なものを感じてしまう。

1500年以上続いたとか万世一系とか男子一系とか、そんなことはどうでもいい。僕は、そんな通俗的権威主義的な思考をする趣味はない。そんなことは俗物の考えることだ。「無私」すなわち「魂の純潔」すなわち「何もない」ということ、そこに人の心は引き寄せられ、その「何もない」ということに対する「遠いあこがれ」を心のよりどころにして生きている。

平成天皇が模索し続けた「象徴天皇とは何か」という命題は、おそらく「魂の純潔とは何か」という人類普遍の問いでもあったに違いない。彼はそれを、日本人あるいは人類の「生贄」として、だれよりも率直かつひたむきに問い続けた。そしてそれは新天皇に引き継がれたし、人類はそれを永遠に問い続けてゆく。

 

 

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『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』

初音ミクの日本文化論』

それぞれ上巻・下巻と前編・後編の計4冊で、一冊の分量が原稿用紙250枚から300枚くらいです。

このブログで書いたものをかなり大幅に加筆修正した結果、倍くらいの量になってしまいました。

『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』は、直立二足歩行の起源から人類拡散そしてネアンデルタール人の登場までの歴史を通して現在的な「人間とは何か」という問題について考えたもので、このモチーフならまだまだ書きたいことはたくさんあるのだけれど、いちおう基礎的なことだけは提出できたかなと思っています。

初音ミクの日本文化論』は、現在の「かわいい」の文化のルーツとしての日本文化の伝統について考えてみました。

値段は、

『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』上巻……99円

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です。

昭和=平成=令和

 

 1

令和という新しい時代になって、マスコミはもう、新天皇の話題ばかりで、平成天皇のことは何も語らなくなるのだろうか。

何しろ今の総理大臣は、平成天皇のことを煙たがっていたらしく、マスコミもそこのところを「忖度」するのだろう。

平成天皇とはどのような天皇だったのだろうか、と考えることなどあの総理大臣の趣味ではないだろうし、考えることができる頭もないに違いない。彼の頭の中にあるのは、お祭りムードを盛り上げて政治利用することだけだろう。そうやって国民を思考停止に陥らせながら参議院選挙に突入してゆきたいのだろう。

でも僕は、考えたい、平成天皇のことを。べつに崇拝なんかしていないが、それなりに確かな存在感の記憶をわれわれの脳裏にしるして去っていった人だった。

そして今だからこそ、「天皇とは何か」とか「日本人とは何か」という議論がちゃんとなされてもいいのではないだろうか。

令和という元号名が素晴らしいなんてさらさら思わないが、なってしまったことはしょうがない。われわれはもう、その元号名を受け入れるし、受け入れるしかない。しかし、思考停止してやすやすと政権のたくらみに踊らされているだけが能ではないだろう。

少なくとも平成天皇は、即位してからずっと、「天皇とは何か」「日本人とは何か」ということを自身に問い、国民に問い続けてきた。いや、皇太子のころからずっと、地方を回って地元民との対話を繰り返してきた。ときには机を並べて2時間以上語り合うこともあったのだとか。3・11のときは何度も被災地に足を運び、ひざまずいて民衆の話を聞いてやっていた。

天皇とは何か……?

平成天皇は、昭和天皇とはまったく違う天皇像を模索してきた。昭和天皇は、民衆との対話など、戦前はもちろん戦後においてもほとんどしなかった。雲の上の人として屹立しているのが役目だと心得ていたらしく、園遊会などで著名人と会っても「あ、そう」というだけだった。

しかし平成天皇は、「国民の安寧を祈り、国民の思いに寄り添ってゆくのが象徴としての私の役目だ」といっていた。おそらくそれが天皇であることの本質で、古代以前の天皇奈良盆地(あるいは畿内)限定であったから、もっと日常的に民衆と接していたに違いない。万葉集には、ひとりで奈良盆地を歩いていている天皇が美しい村娘と出会って言葉を交わす、というようなエピソードが語られている。

そのころの天皇は、権力者というクッションを置かずに、民衆が直接祀り上げている対象だった。

もともと天皇は民衆ととても近い存在であり、天皇の言葉は、いまでも民衆に対して権力者よりももっと大きな影響力・説得力を持っている。

2016年にテレビから民衆に向かって退位の意向を語りかけたとき、右翼や権力者たちはこぞって反対の意向を示したが、それに同意する民意の盛り上がりを押しとどめることができずにしぶしぶ承諾した。まあ、それなのに今となっては徹底的に政治利用して祝賀ムードをあおっているのだから、いい気なものである。

ともあれ、天皇家から天皇を出さないといっているわけではないのだから、いつ交代しようと天皇家の勝手なのだし、民衆の天皇に対する親近感と祀り上げる心映えには、右翼権力社会から押し付けてくる「神」とか「大元帥閣下」というようなイメージはない。

民衆にとっての天皇は「魂の純潔」の象徴であり、「魂の純潔に対する遠いあこがれ」とともに天皇を祀り上げている。

人は、だれもが「魂の純潔に対する遠いあこがれ」を抱いている。人類の歴史は、そこから照射されて流れてきた。

人類社会が「民主主義」を究極として目指しているとしたら、それは「魂の純潔に対する遠いあこがれ」の上に成り立っている。

 

 

天皇だって人間であり、天皇のもとに「魂の純潔」があるのかどうかはわからない。しかし、「魂の純潔」に殉じようとしている人ではあるに違いない。そうやって「無私の人」になり、「民の安寧を祈り、民の思いに寄り添う」ということをしようとしているのだろう。だから85歳の最後まで、毎日のように行われている宮中祭祀は必ず出ていたのだとか。そうして、民の安寧を祈る宮中祭祀と民と対話する行幸が体力的にできなくなることは天皇であることができなくなることと同じであると判断して退位を決断したのだろう。

彼にとっての平成は「天皇とは何か」と問い続ける日々だった。昭和20年の敗戦は、天皇の意味が大きく変わる出来事でもあった。そのことにもっとも戸惑い苦悩したのが昭和天皇だったのだろうし、それをもっとも身近で目撃していたのが当時皇太子であった平成天皇だった。そして昭和天皇は、その答えを見出せないまま死んでいった。彼は、「天皇とは何か?」という問いを昭和天皇からバトンタッチされたのだ。だから、皇太子のときからずっと全国を回って国民との対話を続けてきたのだし、自分が天皇になってはじめて気づくこともあったに違いない。

昭和天皇は、敗戦の無条件降伏を決断し実行した人であったのかもしれないが、権力を持たない身でそれを決断し実行しなければならない立場に置かれ、心にどれほどの重圧と混乱を負わねばならなかったのか、われわれにはわからない。できることなら、最後まで何も決めない立場のままでいたかったことだろう。この国の天皇の権威は、何も決定しないがすべてを受け入れる、ということにあり、それが天皇であることだと思い定めて生きてきたのに、最後の最後で決定・決断をしなければならなくなった。それは、天皇であることを放棄することだった。

権力者たちは、勝手に戦争をはじめておきながら、最後の最後になって天皇に丸投げしてしまった。ぶざまな話ではないか。天皇の権威を重んじるなら、どんなことがあっても天皇に決断させてはならなかったのだ。

その敗戦前の御前会議の席での天皇の腹の内はみんながわかっていた。今流行りの言葉でいえば、それでもそれを忖度しようとしないものが半数いた、ということだ。良くも悪くも「忖度」はこの国の伝統であり、明治以来の権力者は、天皇を無視しつつ天皇に対する「忖度」ということにして権力を押し付けてきていた。

戦後の昭和天皇が「あ、そう」としかいわなくなったことに、どれほど深い心の闇があったことか。おそらく皇太子だけは、それを知っていた。

 

 

昭和から平成、そして令和へ。天皇家にとってそれは、何だったのか。昭和天皇の心の闇とかなしみは、新しい令和天皇にも引き継がれているに違いない。そして、皇太子の妻になった美智子妃にしろ雅子妃にしろ、なぜあのように心の失調を抱え込まねばならなかったのか。彼女らが民間社会の出身ということもあろうが、やはり戦後の天皇家が抱えてしまっている「闇」というか「疵」というようなものが空気として流れていて、それに感染してしまったという部分もあるのだろう。ドーキンス流にいえば、「戦後の天皇家ミーム」ということだろうか。さらには、その失調が愛子内親王にまで伝染してしまっている。彼女らには、何かあの世とこの世の境目に「宙吊り」にされているような心地があるのだろうか。

天皇は「神」で天皇家は「あの世」の世界だということであれば、そう割り切って生きることもできるだろうが、現在の天皇家にはそれが当てはまらない。かといって、ここが「現世」だという確証もない。

戦後の昭和天皇はもちろんのこと、平成天皇にだって、「人間天皇」というアイデンティティをしんそこ実感することは完全ではなかったに違いない。

平成天皇や令和天皇が皇太子の嫁探しのときにあくまで民間の女にこだわったのは、「地上に降りてゆかねばならない」とせかされる思いがあったからかもしれない。

そして宮内庁の職員たちには、男も女も、権力社会の論理としての「天皇家は支配して天上世界に押し込めておかねばならない」という歴史の無意識がはたらいている。だから皇太子の妻たちは、そのような職員たちと「地上に降りてゆかねばならない」という夫の願いとのあいだに挟まれて、心が身動きできなくなってしまう。

伝統的に権力社会は、ことに皇太子に対しては支配的になる。古代には、権力者たちの権力闘争に巻き込まれて殺された皇太子がたくさんいた。

令和天皇の皇太子時代は、弟よりもはるかに自由がなかった。

ともあれ平成天皇も令和天皇も、最初から妻に対して「天上世界の住人」になることを要求しなかった。むしろ「地上の女」でいてくれることを望んだ。なのにまわりの職員たちは、あくまで「天上世界」の論理を押し付けてくる。

そして愛子内親王だって、そんな母親の「宙吊り」になった心が伝染しないはずがない。秋篠宮の娘たちは天上世界のそばにいることの選民意識を謳歌することはできても、愛子内親王にあっては、なまじ敏感で聡明であるがゆえになおさら心は途方に暮れてしまう。地上でもっとも選民として扱われる身でありながら、つねに選民意識をもってはならないという強い戒律がはたらいている。

 

 

天皇にとって権力者から支配されることは「天上世界に押し込められる」ことを意味している。したがってそれは、「不敬罪」にはならない。権力者にとっては、天皇を支配することが天皇を神として崇めることだからだ。民衆が権力者の命令に逆らうときに、はじめて不敬罪になる。権力者の命令は天皇の命令だし、天皇を神として崇めればあがめるほど、みずからの権力が正当化される。

右翼の天皇崇拝は、清らかな心でもなんでもない。権力欲に凝り固まっていることの証明なのだ。彼らの思い描く天皇像なんか、ほんとの天皇でもなんでもない。平成天皇は、ずっと「ほんとの天皇とは何か」と問い続けてきた。

天皇を崇拝する右翼たちは、難が天皇かということなどすでに分かっているつもりでいて、自分たちが望むような天皇であれと要求する。それは、天皇に対して失礼である。天皇がどんな天皇になろうと天皇の勝手だし、天皇が「天皇とは何か」と問い続けているのなら、おまえらも問い続けろ。考え続けろ。考えなくてもわかっているかのような、そのぶざまな態度はいったい何なのか。総理大臣をはじめ右翼としてのプライドがあるのなら、「なんだろう?」と、身もだえしながら考え続けてみせろ。ろくに考えることもしないで、知ったかぶりばかりするな。

こんなぶさいくな総理大臣でも受け入れる日本人とはいったい何なのか、と僕は問わずにいられない。

こんなぶさいくな総理大臣を受け入れることができなくてうんざりしている僕は、日本人ではないのだろうか?そうかもしれない。きっとそうなのだろう。僕は日本人ではない、日本人とは何かと問い続けるものだ。天皇だってそうなのだから、僕もそうする。日本人とは何かと問い続けるのが日本人なのだ、ともいえる。

天皇とは、右翼の者たちがいうような、人を支配・統治する権威・権力のことではない。

天皇とは何か」と問うことは、「魂の純潔とは何か」ということだ。平成天皇も美智子妃殿下も、たぶんそのことを問うて旅を続けてきた。天皇も人間であるのなら、それは永遠にかなえられないことであるが、「魂の純潔とは何か」と問うことが「魂の純潔だ」ともいえる。人はだれもが心の底でそれを問うているのだし、それに対する「遠いあこがれ」を抱いている。

人類の歴史は「魂の純潔に対する遠いあこがれ」とともに流れてきた……まあ、いきなりこんなことをいっても「なんのこっちゃ」と思われるだけに決まっていて、そこがなやましいところだが、これこそがこのシリーズの主題であり、自分としてはかなり本気でそう信じている。とはいえ、何をいっても誰にも通じないような気もしてかなりくだくだしい書きざまになってしまいそうだが、しばらく続けてみようと思う。平成天皇の旅路の後を追うようにして。

 

 

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キンドル」から電子書籍を出版しました。

『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』

初音ミクの日本文化論』

それぞれ上巻・下巻と前編・後編の計4冊で、一冊の分量が原稿用紙250枚から300枚くらいです。

このブログで書いたものをかなり大幅に加筆修正した結果、倍くらいの量になってしまいました。

『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』は、直立二足歩行の起源から人類拡散そしてネアンデルタール人の登場までの歴史を通して現在的な「人間とは何か」という問題について考えたもので、このモチーフならまだまだ書きたいことはたくさんあるのだけれど、いちおう基礎的なことだけは提出できたかなと思っています。

初音ミクの日本文化論』は、現在の「かわいい」の文化のルーツとしての日本文化の伝統について考えてみました。

値段は、

『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』上巻……99円

『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』下巻……250円

初音ミクの日本文化論』前編……250円

初音ミクの日本文化論』後編……250円

です。

5・古代の心と処女の巫女

 

 

どうしてこの国は、こんなにもしょうもない総理大臣がのさばっているのだろう……多くの人がそう思っているはずだが、べつにそれでもかまわないとやり過ごしている人がいて、選挙に行こうともしない。

この国の民衆社会は、心理的にはひとまず権力社会とは無縁に動いていて、権力社会の醜悪さもさして苦にしないようなところがあるらしい。

もしかしたらそれは、権力社会の上に天皇がいる、ということもあるのかもしれない。

天皇が美しく崇高な存在であればあるほど、権力社会のことはどうでもよくなってしまう。

右翼の者たちは、天皇は「大元帥閣下」で「国の家長」だなどといっているが、じっさいの天皇は「統治者=支配者」でもなんでもないし、民衆社会においては、「自分たちがお願いして天皇になってもらっている」という歴史の無意識が息づいている。そういう天皇がいてくれるのなら、権力社会が何であれ、自分たちは自分たちでときめき合いいたわり合う社会をいとなんでゆける、と思っている。もちろん現在においてはそんな美しい世の中にはなっていないのだが、それでもそんな世の中を実現するのに権力社会が手助けしてくれるとはとうてい思えないし、天皇がいてくれればいつかそんな世の中がやってくるかもしれないとも思う。いやべつに、こういうことを表立って意識しているわけではないが、まあささやかなりとも誰かとときめき合う関係が持てればそれでいいかな、という思いはある。

良くも悪くも日本列島の民衆は、ささやかで小さな社会を生きている。そしてそういう社会の関係からはぐれてしまった「嫌われ者」のネトウヨたちが、権力社会にすり寄り、民衆支配に加担したがっている。彼らは、「支配」という武器を手に入れなければ生きられないというか人との関係を結べないという強迫観念を抱えてしまっている。そうやって善良で気弱な人々を攻撃しにかかる。

もしかしたら、ネトウヨたちが人々を選挙に行かないようにさせているのかもしれない。あんな政治好きの醜い連中と同じことはしたくない。あんな醜い連中が空騒ぎしている政治や選挙に、どうして行く気になれようか。魅力的な候補者もめったにいないし、選挙をお祭りのような楽しいイベントにしてくれないことにはその気になれない。

少なくとも若者たちのあいだで選挙に行きたがるのは、ネトウヨと、コスパばかりが気になる日和見主義の連中がほとんどで、だから権力側の政党に投票する割合が高くなる。どちらも、自己保身の強迫観念に追い立てられて投票に行く。もちろんそうではない理由で投票に行く若者もいるし、行かない若者たちが無関心だからといって、単純に「意識が低い」と決めつけることもできない。そこには、政治に興味を持つことに対する微妙な拒否反応がはたらいている。

今どきの権力者たちとネトウヨたちが、政治を醜いものにしてしまっている。また、オールド左翼の野暮ったさも、なんだかなあ、という感じだし。

 

 

支配者がいない原始的な集団においては、民衆はみずからリーダーのカリスマを祀り上げる。そしてそのカリスマのリーダーは、政治的な能力の持ち主ではなく、人としてもっとも魅力的な存在を選ぶ。なぜなら政治という集団のいとなみは民衆自身でできるからであり、必要なことは集団が集団として存在することだけであり、そのための「象徴」として選ばれる。

これはサルではなくオオカミのリーダー選びと同じで、原初の人類は二本の足で立ち上がることによってサルから分かれ、知能の進化と引き換えに、より原始的な集団性になった。

オオカミのリーダーは、もっとも強いものが力で勝ち取るのではなく、だれからも好かれるもっとも魅力的なものが群れのみんなによって選ばれる。つまりその群れは、ボスのもとに「結束」してゆくのではなく、「連携」してゆく。彼らはそうしないと集団での狩りが成り立たない。そのとき全員がそれぞれ別の動きをしなければならないのだから、命令は不可能だし、命令を聞くよりも早く動かなければならないわけで、リーダーとともに戦っているというそのモチベーションが身体の動きや判断を早めている。

オオカミの集団の狩りは、じつによく「連携」がはたらいている。サルにはその「連携」はない。たとえばチンパンジーはコロブスという小さなサルを集団で襲って食べるといわれているが、その襲い方は、ほとんど「連携」していない。めいめいが勝手に襲っているだけだ。だから、その獲物は捕まえたものの「所有」になる。ほかのものも寄って行っておねだりしておすそ分けにあずかるが、「所有権」が消えるわけでも代わるわけでもない。それは、オオカミの群れが自分の体の何倍もある大きなシカやウシを倒してみんなで食べるというのとは全く違う。オオカミの場合はみんなで連携して倒したのだから、そのとき獲物の「所有権」は発生しない。

 

 

原初の人類は「所有」の意識を捨ててみんなで「共有」してゆくことによって、サルと分かたれた。ネアンデルタール人が集団で連携してマンモスなどの大型草食動物の狩りをするのも同じで、当然みんなで食べたし、力の強いものが尊敬されるわけでもなかった。したがって彼らの集団に「リーダー」はいても「ボス=支配者」はいなかったことになる。つまり、力で支配しようとする強いものではなく、この国の天皇のようにあくまでみんなから好かれるものが「リーダー」になっていた、ということだ。

原始時代の人類集団だって「連携」のモチベーションのための「象徴」として「リーダー」を必要としたし、それが未来における究極の「リーダー」のかたちでもある。

集団の動きをもっとも多彩に活性化させるのは、サルの群れのように強いリーダーの命令のもとに「結束」してゆくのではなく、オオカミの群れのように魅力的なリーダーとともにいるというモチベーションとともに「連携」してゆくことにある。そのようにして人類は、質量とともにサルのレベルを超えた集団をいとなむことができるようになっていった。

集団の「結束」なんてサルのレベルの話で、人間は「連携」してゆくことによって人間になった。人類拡散の歴史は、まさに「連携」の集団性が進化してゆく過程だった。だからその集団性は、人類拡散の行き止まりの地であるヨーロッパや日本列島において、もっとも高度に洗練発達していった。

オオカミ=イヌは、寒冷地の動物である、人類が最初にオオカミ=イヌとの親密な関係を持ったのはヨーロッパのネアンデルタール人で、それは関係性や集団性のメンタリティがとてもよく似ていたからだ。

ヨーロッパ人は、イヌと「連携」して狩りをする。集団からはぐれたサルはいつか群れに戻ってゆくが、「一匹狼」のオオカミは死ぬまではぐれたままでいる。だから人間と親密な関係を結ぶことができたわけだが、オオカミ=イヌも他者との親密な関係で連携してゆく生きものであるがゆえに集団に対する忠誠心がない。ネコは家に着きイヌは人に着く、などといわれているが、オオカミはサルのように集団で行動しているのではなく、鳴き声に呼応するなどしてどこからともなく集まってきて狩りをする。猿のように、強いボスのもとで結束しながら普段から集団で暮らしているわけではなく、集団に対する忠誠心はない。そういう忠誠心がないから、みんなでリーダーを選ぶ。

人間と最初に親密な関係を結んだオオカミは、おそらくはぐれオオカミだった。

人間の軍隊だって、集団に対する忠誠心の薄い者どうしでこそもっとも篤い友情が生まれる。それはきっと現在の会社内でも同じで、一般社会全般でいえる人類普遍の生態にちがいない。人間はその本質においてひとりぼっちのさびしい存在であるがゆえに、他愛なくときめき合い助け合い連携してゆく。

オオカミもヨーロッパ人も、もとはといえばまあ南からの「移民」である。だから現在のユーロ連合も、政治的にはかなりやっかいな問題があるにもかかわらず、「移民」を拒みきれないでいる。

人間はその本質において集団からはぐれた存在としての「移民」であり、そのはぐれた心を共有しながら集団をつくってゆく。それは、ときめき合い助け合い連携してゆく心を共有してゆくということであり、ときめく対象を共有してゆくということでもある。

人間の集団は、サルの群れのように強いものの下で結束してゆくという自然を持っていない。だから、強い支配者はやがて必ず滅びるという歴史を歩んできた。

 

 

肉食獣は、ウシやウマのような大きな群れはつくらない。基本的には、単独で狩りをする。だから、集団に対する忠誠心は持っていない。

オオカミ=イヌの場合は、体が小さいから、集団で狩りをしないとウシやウマを倒せない。だから、「連携」をするようになっていった。言い換えれば、集団に対する忠誠心がないからこそ「連携」ができる。

サルは、基本的に草食だから、大きな群れをつくることができる。

二本の足で立ち上がった人類は、猿が持っている集団に対する抽選心を失い、その代わりに「連携」能力を得た。サルの集団の「結束」と、人間の集団の「連携」。両者の集団性は同じではないというか、人間はサルの「結束」の集団性に加えて「連携」の集団性も獲得し、それによってサルよりもはるかに大きな集団をつくることができるようになっていった。

「連携」のダイナミズムがなければ、人間の集団は成り立たない。「結束」の集団性が強くなると停滞し、「連携」の集団性によって活性化してゆく。すなわち、現在のこの国のように、「連携」を失って「分断化」「階層化」が進む社会は停滞している、ということだ。

この国の総理大臣やネトウヨたちのように「連携」したがらない者たちがのさばれば、社会はどんどん停滞・衰弱してゆくに違いない。それはまた、集団に対する忠誠心が強くなると社会は停滞・衰弱してゆく、ということでもある。

「連携」のダイナミズムは、集団に対する忠誠心の薄さの上に成り立っている。それは、オオカミのように、普段はバラバラに暮らしていて、いざとなると一か所に集まってきて「連携」してゆく、という動きが基本になる。まあそのようなかたちで人類の「祭り」が生まれ、それが発展して現在のコンサートやスポーツ等のイベントになっているし、繁華街の商店に行って買い物をするとかレストランや飲み屋に行くということだって、ひとまずそのような生態だといえる。

現代社会の消費行動は、「連携」の関係の上に成り立っている。

この国の総理大臣やネトウヨたちは、この国を停滞・衰弱させている。彼らの存在が、選挙の投票率を低下させている。

ただこの国の民衆社会は、権力社会とは別に独自の「連携」の文化がひとまず機能しているから、その危機感があまり切迫してこないところがある。

左翼たちは、「天皇がいると民衆が精神的に自立できない」などとよくいうが、そうではない、みずから天皇を祀り上げながら権力社会から精神的文化的に自立してしまっているからやっかいなのだ。権力社会に魅力がなくなれば選挙に行かなくなるだけで、権力社会を変えようとは思わない。

この国では、民衆革命は起きない。全共闘運動が失敗に終わったのも、けっきょく民衆を巻き込むことができなかったからだ。それは民衆の意識が低かったからではない。低かったら、巻き込まれてゆく。政治権力なんか関係ない、という意識が高かったからだし、それはまあ、「連携」しても「結束・団結」することが苦手だった、ということでもある。民衆どうしが助け合うという集団性は発達しているが、だからこそ権力社会に干渉してゆくということはしたがらない。

現在においても、こんなひどい政権なのに、まだ無関心を決め込んでいる。

 

 

日本人は強権的な支配者にたやすく支配されてしまうが、同時にそれゆえにこそ心まで売り渡してしまうことはしない。敗戦後はあっさり大日本帝国憲法を捨てた。したがって現在においてそれが復活されようとしているとしても、いずれまたあっさりと捨ててしまうだろう。

現在のこの国の政権はますます強権的になってきていて、民衆ももどかしいくらい従順だが、深く洗脳されてしまっているわけではない。それでも民衆の実生活においては、強権支配のもとで結束してゆくのではなく、ときめき合い助け合い連携してゆく関係性・集団性を生きようとしている。だから現在の状況なんか、何かのはずみであっさりと変わる。それが、この国の伝統なのだ。

もともと日本列島では、生きてあることの「嘆き~かなしみ」を共有しながら「連携」してゆく関係性・集団性の文化をはぐくみながら歴史を歩んできたのであり、そのための「よりどころ=象徴」として天皇を祀り上げてきた。権力支配のもとで「結束」してゆくのではなく、無主・無縁の関係で「連携」してゆく、そのためのよりどころとして権力支配の上に「天皇」を置いて祀り上げてきた。

まあこの国に天皇という存在が必要かどうかはよくわからないのだが、この国の高度に洗練された「連携」の関係性・集団性の文化が守られてゆくのなら、どのような集団においても「リーダー」は誰からも好かれるもっとも魅力的なものをみんなで直接選んで祀り上げてゆくのが基本的伝統的な集団性であるのだろう。

国家であれ家族であれ、リーダーは、上から支配してゆくのではなく、下からみんなで祀り上げてゆくのが人間性の自然でありこの国の伝統でもあるはずなのだが、それが欧米の帝国主義を模倣する明治維新によって壊されていった。

しかしそれが「王政復古」という名のもとでなされたということは、日本列島では古代からすでに帝国主義的な社会システムを持っていたということを意味する。

 

 

たとえば、古代の関東の民衆が「防人」として九州に送られてゆく、などという理不尽なことが、どうして可能になったのだろう。

大和朝廷の支配権力が絶大だったからだろうか?ひとまずそれは帝国主義的な強固な支配システムのように見えるのだが、何しろ「国のあけぼの」の時代の話だ、そうそう強く支配システムが国の隅々まで及ぶはずがないし、関東のその先の東北は「まつろわぬもの」たちの地域だったのだから、関東だってそれほど強く支配されていたはずがない。

いやならちょいと足を延ばしてすぐ隣の東北に逃げ込めばいいだけのことだが、それでも人々はその命令に従っていった。

それはたぶん、権力が「支配した」ということだけでなく、民衆自身が「支配されていった」ということもあるのではないだろうか。そこがまあ日本的であり、日本列島の民衆にはそういう部分があるからこそ、権力者はやりたい放題のことをして歴史が流れてきた。古代や中世はもちろんのこと、明治以降の近代史だって、けっきょくはやりたい放題をされながら太平洋戦争のみじめな敗戦へとなだれ込んでいった。

おそらく、支配権力が絶大でなくてもかんたんに支配されてしまうメンタリティと社会のしくみが、この島国の伝統としてはたらいていたのだろう。

それと同時に、縄文以来の伝統として「旅心

にいざなわれる」ということがあり、死ぬほど嫌なのだけれどそれでも断り切れない、ということもあったのかもしれない。まあそういう「無常感」ゆえに、かんたんにあきらめて支配されてしまう。

それはもう、生きて故郷に帰ってくることができるかどうかわからない旅だった。彼らには「お国のため」などという意識はなかった。それでも、従容として旅立っていった。そのときおそらく、旅をすることそれ自体から誘われてゆく心がはたらいていた。青い空の流れる雲から誘われた、と言い換えてもよい。古代人の心の、その「おおらかな遠いあこがれ」こそがその制度を可能にしていた。彼らのシンプルでぎりぎりの暮らしに、現実的な損得勘定(=コストパフォーマンス)の意識は希薄だった。生きてあることはなやましくくるおしいことであり、その「かなしみ」は、この生の外に向いていた。見上げる青い空の流れる雲に向いていた。

石川啄木は「雲は天才である」といったが、それは古代人の心でもあった。

「防人」の制度を成り立たせていたのは、古代の大和朝廷の政治権力ではない、流れる雲に対する「遠いあこがれ」だったのだ。

 

 

さらに古代には「采女」や「舎人」といった朝廷の労働者が地方から派遣されてくるという制度があったわけだが、それらの多くは地方豪族の子女で、地方が中央に差し出すいわば「人質」のような存在だった。しかしそれだって、中央の権力がそれほどに強かったというよりも、地方のほうから差し出したくなるような何かがあったのだろう。

その「何か」とは、もちろん政治経済的な利害関係もあっただろうが、それ以前に「奈良盆地の魅力」というのがあったのだ。「古代のおおらかさ」などというなら、まずそのことを考えねばならない。「色ごと」の文化、すなわち「美意識」とともに時代や社会が動いてゆく風土、それがこの国における「古代のおおらかさ」だった。

とにかくそのころの奈良盆地はもっとも先進的な地域だったわけで、いわば「奈良盆地詣で」のような気分が全国に広がっていたのではないだろうか。弥生時代奈良盆地が日本列島でもっとも大きな都市集落になったのはまわりの地域からどんどん人が集まってきたからで、このことはさまざまな考古学の証拠がある。まず、そのころはほとんど湿地帯だらけだったこと、そしてそこを干拓するための土木工事の技術がとても発達していたこと、その結果としてもっともたくさんの人が集まってくる場所としての「纏向遺跡」がつくられていった。

おそらく古代以前から古代にかけての日本列島には「奈良盆地詣で」のムーブメントが続いていたのであり、「采女」や「舎人」の制度もその動きを基礎にして生まれてきたのではないだろうか。そしてそれは、結果的に極めて高度な中央集権的な支配システムになっていたわけだが、おそらく大和朝廷が強権的計画的に進めていったのではない。国家とは何かということもよくわかっていない「国家のあけぼの」の時代に、こんなことを強権的計画的に推し進める能力が大和朝廷にあったはずがない。

その制度は、古代人の心の「おおらかな遠いあこがれ」から生まれてきた。もちろん明治政府はそれを強権的計画的に推し進めていったのだし、古代の大和朝廷もまた、民衆のその「おおらかな遠いあこがれ」に寄生しながら「天皇を最高権力者であるかのように偽装する制度」を見出していった。明治政府がなんとしても復活させたかったのはこの制度であり、それをしなければ欧米列強に肩を並べる帝国主義国家は実現できないと考えた。

ともあれ、大和朝廷成立以前の原初の天皇は、古代人の「おおらかな遠いあこがれ」の対象として生まれてきたのであり、大和朝廷成立とともにそれが最高権力者であるかのように偽装され、「神武東征」などという神話がつくられていった。

まあ「神武東征」だって、「神武の奈良盆地詣で」と読み換えることもできなくはない。この話をつくったのは、民衆だったのか権力者だったのか、僕にはよくわからないのだが、それでもこんな話の中にさえ、時代状況としての古代人の心の「おおらかな遠いあこがれ」が宿っているように思える。

 

 

古代の「おおらかな心」は、もはや失われてしまったのか?

そんなことはあるまい。

それはこの国の「伝統」というか「歴史の無意識」として受け継がれているはずであり、そうやって天皇制が残ってきたのだし、戦後の憲法第九条が生まれ守られてきた。

古代以前の起源としての天皇は、「処女の巫女」だった。天皇制だろうと憲法第九条だろうと、おおらかといえばおおらかな能天気でお花畑の文化遺産なのだ。

伝統の本質的な性質は、「究極」を目指していることにある。真実だからとか本当に大切なものだからとか、そういうことじゃない。嘘っぱちだろうと、無駄なものであろうと、「究極」を目指しているがゆえに残ってきたのだ。憲法第九条だって、それが現在の平和を守るのに有効だとか、そんな話じゃない。ただの能天気なお花畑の思想さ。しかしそれが、人類の理想であり究極であるのも確かなことだろう。究極を目指していなければ、伝統として残ってゆくことはできない。

現在のこの国で生きてゆくためには、「日和見主義」の「コストパフォーマンス主義」になるのがいちばんだろう。しかしそれは、理想でも究極でもない。われわれの「日和見主義」や「コストパフォーマンス主義」は、いずれ必ず理想や究極によって滅ぼされる。われわれの心は、つねに理想や究極に照射されている。

もしも「古代のおおらかな心」が人類の理想であり究極であるのなら、われわれの心にも「伝統」という名の「歴史の無意識」として残っていないはずがない。

 

 

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『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』

初音ミクの日本文化論』

それぞれ上巻・下巻と前編・後編の計4冊で、一冊の分量が原稿用紙250枚から300枚くらいです。

このブログで書いたものをかなり大幅に加筆修正した結果、倍くらいの量になってしまいました。

『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』は、直立二足歩行の起源から人類拡散そしてネアンデルタール人の登場までの歴史を通して現在的な「人間とは何か」という問題について考えたもので、このモチーフならまだまだ書きたいことはたくさんあるのだけれど、いちおう基礎的なことだけは提出できたかなと思っています。

初音ミクの日本文化論』は、現在の「かわいい」の文化のルーツとしての日本文化の伝統について考えてみました。

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です。

天皇の心の闇

 

大阪の選挙で維新の会が大勝利して、いったいこの国はどうなっているのだろうと思うのだけれど、まあ投票率が40パーセントを少し越えるくらいで、右翼的勢力しか投票に行かないのであれば、こうなるのも仕方がない。

右でも左でもない無党派層の「お祭り」が起きて投票に行くようにならなければ、この国の状況は変わらない。

この国の伝統としての「お祭り」の大切さが、ようやく気付かれ始めている。もちろんまだまだし、あんがい右翼のほうが先に気づいていて、政策なんか関係ない、お祭り騒ぎに持ち込めばこっちのものだ、と思っている。飲んで騒いで歌って踊って……とまでいかなくても、選挙のときの祭りの高揚感はたぶん、創価学会のおばちゃんたちがいちばんよく知っているのだろう。

祭りのエネルギーが持つ「過剰さ」と「超越性」、それが人の行動をうながす。

世界が右傾化してきたといわれて久しいが、そろそろそれもマンネリになってきて、カウンター勢力が芽生えてきている。それは、「左翼」というのでもない。「リベラル」というのか、ようするに今どきの右翼的な思考の醜悪さに耐えられないということであり、その「醜悪さに耐えられない」という思考こそ日本列島の伝統なのだ。

天皇はこの国の「家長」であるとか「大元帥閣下」であるとか、何をくだらないことをいっているのだろう。天皇なんてただの「色好み」であり、そこにこそ天皇の尊厳も超越性もあるのだ。

ともあれまだまだ右翼がのさばっている世の中で、彼らはわが世の春を謳歌しているのだろうが、それでも彼らの強迫観念は根深く、執拗に左翼勢力やマイノリティを攻撃弾圧しようとしている。そろそろ潮目が変わり始めていることに無意識で感じているからかもしれないし、何よりそれは人間性の自然に矛盾した思想なのだから、いずれは衰退してゆくに決まっている。

明治以降の日本人に染みついた思考の習性というのはあるのだろうが、そんなものはたったの150年で、人類700万年の歴史から見ればあっという間の時間に過ぎないし、日本列島の歴史1万年、大和朝廷発生以来の2千年の歴史から見ても、日本人の普遍的な思考であるとはいえない。

 

 

人間性の自然は、その「消失願望」という本能とともに、マイノリティに対して親密な感慨を寄せてゆくことにある。そしてこの国においては、人間社会の外の世界に存在する天皇こそもっとも本格的なマイノリティであり、それを祀り上げ献身してゆくこと、すなわちその「消失願望」とともに生きてあることの「嘆き=かなしみ」を抱きすくめてゆくことが伝統的な精神風土になっている。

したがって今どきの右翼こそ、もっとも伝統に反する思考の者たちなのだ。

生きられない存在である生まれたばかりの赤ん坊をかわいがり懸命に生かそうとしてゆくのはあたりまえの人間性であり、そんなことくらい犬でも猿でも鳥でもしている。今どきの右翼はあまりに観念的で、そういう自然がなさすぎるのであり、それは日本人らしくないということでもある。彼らは「日本人に生まれてよかった」とよくいうが、彼らのどこが日本人らしいというのか。滅びるまいとする強迫観念で悪あがきして大騒ぎするのは、「散華の精神」が伝統の日本人としてはあまりに醜い。自分が生き延びることも日本人であることも忘れてマイノリティや移民にやさしく親密になってゆくのが、伝統的な日本人の心映えなのだ。

今どきの右翼は、どうしてこうも非日本人的なのだろう。彼らにとって日本人であることもこの国に天皇が存在することも、自分の正当性を確認するためのよりどころになっているのだが、それはまあ明治以降の近代的自我にすぎないのであり、そういうよりどころを欲しがること自体が日本人的ではない。「日本人に生まれてよかった」だなんて、江戸時代以前の民衆にそんな自意識はなかった。日本人であるという自覚も、自分の正当性を確認したいという欲望もなかった。日本人であること以前の、生きてあるというそのことを嘆いている「たおやめぶり=処女性」こそ日本列島の伝統的な精神風土であり、その上に日本文化が花開き、集団が活性化していった。

今どきの右翼こそ、日本人の伝統を壊している。あるいは、明治以降の大日本帝国が壊した、ということだろうか。いずれにせよ、彼らの過剰な自意識は、天皇の存在の仕方すなわち日本列島の伝統とまったく矛盾している。天皇とはそういう自意識の向こうの世界に存在する人であり、それに対して彼らは自意識のよりどころとして天皇を崇拝し、「日本人に生まれてよかった」と合唱している。

 

 

国家主義や宗教主義とは、自意識に執着してしまう文明の病である。文明社会に生きるわれわれは、だれもが自意識を抱えてしまっているし、自意識の強いものが支配者になるような構造になっている。そして自意識の薄い原始的な関係性・集団性を成熟洗練させてきた日本列島では、四方を荒海に囲まれた島国であったたこともあり、文明制度(=大和朝廷)の成立がいちじるしく遅れたし、そのときすでに成熟洗練していた原始的な関係性・集団性によって文明制度に対する対抗的な文化を生み出していった。すなわちそれが、「神道」であり「天皇制」だった。

天皇制とはいわば「直接民主主義」であり、起源としての天皇は「支配者」として奈良盆地に登場してきたのではなく、奈良盆地の民衆自身がみずからの集団性のよりどころとして祀り上げていったカリスマだったのであり、その関係のあいだに支配者=権力者が寄生していったにすぎない。

奈良盆地には、戦争の遺跡がない。だから大和朝廷は、最初からずっと城砦を築かなかった。天皇の御所はまるで無防備で、幾重にも防備を固めている戦国大名の城とはずいぶん趣が違う。それは、天皇が支配者=征服者として登場してきたのではない、ということを意味している。

もちろん御所を警護する者たちは置かれていたが、天皇自身の存在は無防備であることが基本であり、襲撃されないという前提につくられていたし、襲撃する者もいなかった。列島中のそういう合意のもとに、天皇制が1500年以上続いてきた。天皇はべつに権力者ではないのだから、天皇を殺しても権力を奪うことはできない。だから、天皇が殺されるはずがなかった。天皇は、外部に対しても内部に対しても無防備だった。大化の改新壬申の乱のように天皇が権力に利用されることはあっても、天皇を殺せば権力を奪取できるという状況などなかった。

まあ明治維新のときに孝明天皇が殺されたという説もあるが、それによって天皇制が廃止されたわけではない。権力者はいざとなれば天皇を殺すことなんか平気だし、殺す必要がないから殺さないだけだった。この1500年のあいだに殺された天皇は他にもいたかもしれないが、だれも天皇制を廃止しようとは思わなかった。それは、天皇が権力の外にいる人だったからだ。

天皇は政治から利用されることはあっても、本質的には政治から「隠れている=消えている」存在なのだ。だから、天皇のいるところを「内裏(だいり)」といった。「消失願望」の文化、その象徴として天皇の純粋無垢な「姿」が祀り上げられてきた。そこは、この世の「けがれ」から隔絶した場所であった。

天皇は、無防備な「無私の精神」をそなえた存在である。つまり、戦後の憲法第九条は天皇の心映えの反映であり、だからこんなにも長く守られてきたのかもしれない。

 

 

権力者は、天皇を利用するだけ利用しても、政治に参加させるつもりはない。参加しようとすれば、たちまち殺されるか放逐される。

昭和の戦争前の政治家や軍人たちだって、天皇を「大元帥閣下」などと祀り上げながら、天皇の承認なしにやりたい放題のことをしていた。いちおう国の方針はすべて天皇の承認を得て決定されるという建前になっていたが、いざとなったらそんな手続きも省いてどんどん中国に侵略してゆき、けっきょく天皇も対米戦争突入を承認するほかなくなっていった。

そして現在の政権もまた、大嘗祭の大掛かりなセレモニーを皇室の承認なしに決めてしまい、天皇に代わって秋篠宮からそれを抗議されている。こんなことはもう不敬罪そのものの振舞いだが、権力社会はそれを、古代からずっと当たり前のようにしてやってきたのだ。彼らにとって天皇は利用するものであって、天皇のように思考したり振舞おうというようなつもりはさらさらない。

平成天皇生前退位の意向にしても、総理大臣をはじめとする多くの右翼は潰そうとしていたのであり、それに賛同する大多数の国民の声を抑えきれなくなって仕方なく認めただけであるし、認めたとたんにそれをあざとく政治利用しにかかってきた。

左翼の者たちは「天皇の戦争責任」などというが、そんなことを問うていたら、じっさいの当事者である権力者たちの愚かで悪質な振る舞いが免罪されてしまうではないか。「天皇の戦争責任」なんて、お門違いもいいとこなのだ。

古代の「白村江の戦い」への出兵も、天智天皇は嫌がっていたという話がある。日清・日露戦争だって、明治天皇は承認させられただけではないか。

この国の権力者がいかにあざとく天皇を利用してきたか、それはもう、起源のときからはじまっていたのだ。「神武東征」なんて、権力者による政治利用のためのつくり話なのだ。ただの作り話であることはだれもが知っているのだが、右翼たちはひとまずそういうことにしておくのが正義か美徳であるかのように主張してくるし、その話の裏にいくぶんかの史実が隠されてあるかのように考える歴史家もいるのだが、隠されてあるのは、天皇を利用しようとする権力者の企みだけだ。

 

 

元号が発表されて世の中は奉祝ムードらしいが、現政権にとってはやっかい続きの政権運営の厄払いをする絶好の機会になっているのだろう。ネトウヨたちが能天気にめでたいめでたいと合唱している。

彼らには、生きてあることの「嘆き=かなしみ」がない。それはつまり、セックスアピールがない、ということであり、「色ごと」が文化の伝統であるこの国においてはいずれ淘汰される。彼らはすでに文化の伝統を失っている。「やまとごころ」を失っている。

セックスアピールにときめいてゆくのが「やまとごころ」なのだ。

現在のこの国の総理大臣にセックスアピールはあるか……?ないから、世の主婦たちに嫌われている。利害損得にまみれ自分を見せびらかすことばかり躍起になっている気配にセックスアピールがあるはずがない。自分のこともこの生のことも超越した「もう死んでもいい」という気配にこそセックスアピールがある。「けだるさ」であれ「ひたむきさ」であれ、つまりは「もう死んでもいい」という「消失願望」が漂わせてい気配なのだ。そういう気配が、はた迷惑で騒々しいだけのネトウヨたちにはない。

ひとまずこの国の人々は、天皇には純粋無垢な精神の輝きがある、と見ている。その気配にこそ天皇の尊厳とセックスアピールがある。

「色ごとの文化」を見くびってもらっては困る。それは、往々にしてもっとも低俗な「エロ文化」として扱われてしまいがちだが、同時に、そこにこそもっとも深く本質的な思想というか人間理解が隠されてもある。

 

 

日本列島の歴史において、古代と明治維新から敗戦までは、もっともあからさまな天皇の政治利用がなされている時代だった。そして敗戦直後は、古代の大和朝廷成立以前の天皇の姿に回帰してゆく時代になった。すなわち、「神」とか「大元帥閣下」とか「国の家長」とか、そうした権力者が押し付けてくる天皇像ではなく、民衆が、民衆自身の心が祀り上げているほんらいの天皇像を権力者の手から取り戻していったのだ。

そうして今また、右翼思想の権力者によって奪い返されようとしている。いや、今どき右翼のようなオカルトじみた天皇像を抱いている者などほんの一握りなのだが、世の中の空気は声高な者たちに流されやすいし、現在の政権が率先してそれを煽っている。

天皇教というオカルト。これが、宗教心が薄いといわれる日本人全体の歴史の無意識であるはずがない。日本人の天皇に対する親密な感慨は、宗教ではない。国家神道の「天皇=神」という思考は宗教そのものだが、古代および古代以前の民衆の天皇に対する親密な感慨に「国家」という意識はなかった。江戸時代までの民衆に「国家」という意識はなかったのであり、神道はべつに「国家神道」として生まれてきたのではない。天皇はもともと国家の成立以前に民衆自身が祀り上げて生まれてきた存在であり、国家の統治者として民衆の前に登場してきたのではない。そのとき民衆が祀り上げたのは、あくまで美しく魅力的な存在だった。

今でも民衆にとっての天皇は、「この世のもっとも美しい存在」であって、だれもこの世界の統治者だとは思っていない。それが、日本列島の歴史の無意識であり伝統風土なのだ。

一部の、統治(支配)したがり統治(支配)されたがる右翼だけが、勝手にそう決めつけているだけだ。彼らは、神に支配してもらっていないと、不安で生きられないらしい。まさしく彼らは「宗教者」であり、国家神道という名のカルト宗教を信じている。

 

 

昭和天皇はたぶん、生まれたときから大日本帝国の「大元帥」」としての「帝王学」を叩き込まれて育ったのだろうから、自分が権力者の政策を「承認」することの重さを知り、その職務に誠実であろうとしてきたのだろう。彼に戦争遂行の意思があったかどうかはともかく、彼の「承認」という手続きを経て事態は進行していった。仰々しく白い馬に乗って閲兵するということもしていたのだし、だから彼としては、大いに「戦争責任」を自覚していたことだろう。しかし、いったい誰にそれを問える資格があるだろうか。

また天皇にしても、それを自覚して自裁するような自意識は持てない身であり、自覚はしても、裁かれれば素直にそれに従う、という以外に取るべき道はなかった。また、退位をして隠遁するという選択肢も浮かんだかもしれないが、天皇である以上、そうしたわがままも許されなかった。

もちろんそのときの天皇の気持ちなどだれにもわからないのだが、「自裁をしなかった」というのは、天皇らしい態度だったともいえる。「無私の人」であるべき天皇に、そんな自意識はあってはならない。戦後の「象徴」としての人生が彼にとって幸せだったかどうかなどわからないし、もしも小さくはない「苦悩」があったとしたら、それを知っているのは彼の息子の皇太子だけだったのだろう。天皇は、「苦悩」を持つことも許されていない。その後を継いだ平成天皇のわが身を捨てた献身ぶりは、もしかしたらそれが彼にとっての「父」と「昭和」に対する鎮魂だったのかもしれない。最初はなんだか頼りなかったが、みごとに「天皇」になってみせた。伝統というのはすごいものだと、あらためて思わせられる。

天皇天皇であることのゆえんは、「統治者」ではないことにある。そんなことは、戦前だろうと戦後だろうとみんな知っていることであり、だからこそ権力者が偽装する「天皇の命令」がいっそうの効果を発揮したという逆説がある。知っていたからこそ、どんな理不尽な命令にも誰もが天皇を恨むことなく従った。戦後においても、「天皇の戦争責任」を問うたのは一部の左翼知識人だけで、民衆全体の心にはならなかった。

日本列島の歴史を通じて天皇が「統治者」であった時代など一度もないし、この国においてもっとも権威をもった存在は、「統治者」ではなく「もっとも美しい存在」であり、それが「色ごと」の文化の伝統なのだ。

現在のこの国の「統治者」は、美しいか?愚かで醜悪なだけではないか。一部のネトウヨを親衛隊にして引き連れながら声高な騒々しさで民衆を支配し引きずり回そうとしているだけではないか?

 

 

「令和」の「令」には「端正な美しさ」という意味がある。それはまあそうなのだが、この国の総理大臣やネトウヨたちにそんな美しさがあるだろうか。あるわけがない。グロテスクなだけでではないか。そりゃあ、強権的に民衆の思考や行動を同じにしてしまえば、支配もスムーズにいくだろうし、それが彼らの目指す「美しい国」であるらしい。嫌われ者の生きる道は他者を支配してしまうこと以外にないのであり、声高で支配欲の強いものが社会の表層に浮かび上がってくるのは仕方がないのかもしれないが、だから古代以前の民衆は、支配統治をしない存在としての天皇をみずから祀り上げていった。それが、古代以前の原始的な集団運営の作法だった。すなわちそれが、「直接民主主義」という理想かつ究極の集団運営の作法でもある。

直接民主主義は、混沌とした無主・無縁の「祭りの賑わい」にある。その賑わいから天皇の前身である「処女の巫女」が生まれてきた。

もちろん、現在の国家のような大きな集団が直接民主主義だけで運営できるはずがない。しかしそれが理想・究極であるという思いが人の心の中から消えることはない。

人類集団の起源と究極のかたちは混沌とした無主・無縁の「祭りの賑わい」にあり、それがこの国の「色ごとの文化」の伝統になっているのだし、その文化の上に天皇が生まれてきた。

だから原始神道では、死んだら何もない真っ暗闇の「黄泉の国」に行く、といった。その「混沌」こそ「色ごと」の醍醐味であり、この国の「美」の伝統にほかならない。「無常」も「あはれ・はかなし」も「わび・さび」も、「混沌」の果ての世界のさまにほかならない。セックスのエクスタシーの果てには、だれしも死んでしまったような心地になるではないか。そこで見る世界が、「無常」であり「あはれ・はかなし」であり「わび・さび」なのだ。

天皇が「大元帥=統治者」であるとか「国の家長」であるとか、何をくだらないことをいっているのだろう。統治者とか家長などというものはただの嫌われ者だし、嫌われ者の生きる道は支配・統治しかないのだ。それを「令和」という。

新しい元号になるということは、昭和や平成とは何だったのか、と顧みる機会でもある。しかし現在のこの国の総理大臣やネトウヨたちには、昭和天皇や平成天皇の「心の闇=混沌」について思いを巡らす想像力などないに違いない。

天皇の美しい「無私の精神」は、「心の闇=混沌」でもある。だからあの人は、メッセージを読み上げるときに、あんなにもかんたんに涙声になってしまう。それは、ただ歳をとって耄碌しているというだけのことではない。天皇であることや天皇という任務をまっとうすることのくるおしさというものを、彼らは何もわかっていない。だからあんなにも平気で政治利用できるのだろうし、天皇を崇拝することは天皇の心に思いをいたそうとしないということであり、その態度のグロテスクというものがある。崇拝しているから私の心は清らかだといいたいのか?崇拝するということは、天皇をただの床の間の飾り物のようにしか思っていないということだ。だから「神」や「大元帥」にしてしまうことができるし、平気で利用してゆくこともできる。

 

 

天皇が人間であることなど、だれでも知っている。そんなことは戦前の人々だって知っていたし、天皇のまわりにいる権力者たちはなお知っていたはずだ。それでも、人間の最上位すなわち神でもある人間であるかのようにしておき、そういう存在として扱えばどんなに政治利用しようと、なんの後ろめたさもない。まあ、天皇が「無私の人」であることに乗じて政治利用し、同時に神として崇める。

「無私の人」であるとは、「私」がない、ということではない。「私」を限りなく消してゆく人である、ということだ。「無私の人」であることは、とてもなやましくくるおしいことなのだ。しかしそれとは対極の存在である権力者たちにわかるはずもなく、最上位の存在として自我が満足されているのだからそれでいいだろう、と思う。彼らが天皇を崇拝することは、天皇を政治利用するための免罪符になっている。天皇は神なのだから、天皇の心なんかどうでもいい、と彼らは思っている。

天皇を崇拝することの、なんとグロテスクなことか。

古代以前の奈良盆地の祭りから生まれてきた起源としての天皇は、この世界の「生贄」として民衆がみずから勝手に祀り上げていった存在だったのであり、だからこそみんなで「捧げもの」をし、保護していった。それはまあ、生きられない存在である赤ん坊をお母さんがみずからの命と引き換えにするように育ててゆくことと同じ行為だった。

つまり人の世はだれもがこの世界の「生贄」になることによって成り立っているのであり、天皇は、だれもがそういう存在として生きることのよりどころとして祀り上げられていった、ということだ。

権力者は天皇を神として崇拝し、民衆は、天皇の心に寄り添うようにしながら親愛の情を抱いている。

天皇を見上げて崇拝するということは、第三者(マイノリティ)や弱いものを見下し憎むということでもある。それが明治以降の大日本帝国国家神道プロパガンダであり、そういう思考からヘイトスピーチが生まれてくる。

しかし日本列島の民衆の伝統においては、第三者(マイノリティ)や弱いものに手を差し伸べる、ということのよりどころとして天皇を祀り上げてきたのであり、極端にいえば天皇とは「生きられないこの世のもっとも弱いもの」の形代なのだし、じっさいこの国にはそういう存在を「かみ」として大切に守り育ててゆくという文化の伝統がある。まあ、「あはれ・はかなし」とか「わび・さび」といっても、そういう「消えてゆく」方向に向かって関心を寄せてゆく美意識のことだ。だから天皇は、足しげく被災地を訪れる。そしてその関心は、生きてあることの「嘆き=かなしみ」から生まれてくる。そしてその「嘆き=かなしみ」を共有しながら他愛なくときめき合ってゆくのがこの国の民衆の集団性の作法であり、それはもう、天皇とも共有している。

共有していないのは、右翼の権力者たちばかりだ。

天皇とは、もっとも深く純粋に嘆きかなしむ人である。べつに右翼から崇拝されていい気になっているのでも、右翼のように人を見下しているのでもない。

天皇の心の闇を、民衆は知っている。だから、ひどい戦争だったと嘆きつつ、しかし天皇は責めない。誰の中にも心の闇はあるのだし。

 

 

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キンドル」から電子書籍を出版しました。

『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』

初音ミクの日本文化論』

それぞれ上巻・下巻と前編・後編の計4冊で、一冊の分量が原稿用紙250枚から300枚くらいです。

このブログで書いたものをかなり大幅に加筆修正した結果、倍くらいの量になってしまいました。

『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』は、直立二足歩行の起源から人類拡散そしてネアンデルタール人の登場までの歴史を通して現在的な「人間とは何か」という問題について考えたもので、このモチーフならまだまだ書きたいことはたくさんあるのだけれど、いちおう基礎的なことだけは提出できたかなと思っています。

初音ミクの日本文化論』は、現在の「かわいい」の文化のルーツとしての日本文化の伝統について考えてみました。

値段は、

『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』上巻……99円

『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』下巻……250円

初音ミクの日本文化論』前編……250円

初音ミクの日本文化論』後編……250円

です。

色ごとの文化とコンピュータのかなしみ

 

このごろ、人間とAIの違いはどこにあるか、とよく議論されている。

コンピュータは「ON」と「OFF」すなわち「1」と「0」の無限の組み合わせによって動いているのだとすれば、人間の脳というか生きものの命のはたらきは、「OFF=0」だけのはたらきではないだろうか。

コンピューターは「ON」と「OFF」の瞬間的な点滅と無限に繰り返しているのに対し、人間の脳は、「ON」の状態から「OFF」に向かってゆくその過程においてはたらいているのではないかと思える。瞬間的に消えるのではない。だんだん「消えてゆく」ということ、それが脳という命のはたらきではないかと思える。生きものの命のはたらきは、いったん貯め込んだエネルギーを消費しながらそれが消えてゆくまでの「過程」において起こっている。まあそのようなことで、脳のはたらきだってこの原理に基づいているのではないだろうか。

「(だんだん)消えてゆく」ということ、命のはたらきも脳のはたらきも、この運動ではないだろうか。コンピュータのはたらきには、この「消えてゆく」過程がない。

息を吸うことだって、それなりにエネルギーを消費しながらなされている。

命のはたらきとは、エネルギーを消費すること。すなわち「OFF=0」に向かうはたらきのこと。

コンピュータは、「解答」を導き出す。それは、もともとコンピュータに可能なことで、コンピュータは不可能なことには向かわない。「不可能」という「解答」を出すか、永遠に「解答」に向かって作動し続ける。コンピュータは「解答」の向こうの世界を知らないが、人間はそれを知っている。

人間の脳は、「不可能」に向かう。「女の気持ちはわからない」といってよろこんでいるなんて、コンピュータの趣味ではないだろう。わかるまで計算し続ける。コンピュータに不思議=神秘はないし、人間の脳は不思議=神秘に引き寄せられる。なぜならそれは、「OFF=0」に向かうはたらきだからだ。それが、人類の知能を進化発展させてきた。

原初の人類が地球の隅々まで拡散していった契機はあの山やあの地平線の向こうには「何があるのだろう」という「好奇心」だったという説があるが、厳密にいうと、そうではない。彼らは、あの山の向こうは「何もない」と思っていた。この世界は大きな数頭の象の背中に支えられた丸い円盤だと思っていた。われわれ現代人の無意識だって、水平線の向こうは「何もない」と思っている。知識としては何があるか知っているが、心の底では「何もない」という気分が疼いている。しかし人の心は、その「何もない」というそのことに引き寄せられる。

あの山の向こうに何があるのだろうと思ったら、たとえば幽霊やお化けを想像するのと同じで、気味が悪くなって行けなくなってしまう。「何もない」と思ったからこそ、強く引き寄せられていったのだ。

人間の脳は、「だんだん消えてゆく」過程においてはたらいている。それがたぶんコンピューターとの違いで、人間は不思議=神秘について考えるが、解き明かす装置であるコンピュータに不思議=神秘はない。

解き明かす装置であるコンピュータには、必然的な帰結としての「解答」があるだけで、根拠のない「偶然の飛躍(=ひらめき)」というものがない。

良くも悪くも、人間は根拠のないことを考える。誰がどう見てもブスに決まっている女を心底「美人」だと思って惚れてゆく男の気持ちが、コンピュータにわかるだろうか。わかるはずがない。根拠が「ない」のだもの。これを、現象学では「超越論的主観性」という。それは、「ない」に向かって「だんだん消えてゆく過程」で考えられている。それは、「解答」ではない。まったく根拠のない思い込み、コンピュータは、それをどう説明してくれるのだろうか。

コンピュータは、何を好きになるかということはすべてわかっても、好きになることはできない。好きになることに、根拠はない。「だって好きなんだもの、しょうがないじゃないの」という気持ちの根拠をどんなに細かく分析しても、分析しきれないものが必ず残る。「好きになる」ということは、「解答」ではない。ある種の「決断」であり、「判断停止」に陥ることだ。そうやって「ない」に向かって消えてゆく。「解答」を消去してゆくこと、つまり、考えなくなってゆくこと。そうやって「自分」が消えてゆくことの心地よさがあり、心=意識は自分から離れて対象に張り付いている。何かの音を聞いているとき、鼓膜の振動として自覚しているのではなく、心=意識はあくまで対象に張り付いている。だから、そこから聞こえてくるように聞こえる。テレビ画面を見ながらイヤホンでその音を聞いているとき、音はイヤホンからではなく、テレビ画面から聞こえてくるように感じている。そのとき耳は、「聞く」能力を失うというかたちで聞いている。「聞いている」のではない。そこで音が鳴っているのを感じているだけだ。「聞く」というはたらきの「超越論的主観性」というものがある。

「好き」という心を失うことが「好きになる」ことだ。そのとき心は、すでに自分から離れて対象に張り付いている。

人の心は、人の中にはない。それに対してコンピュータの心は、あくまでコンピュータの中のものでしかない。コンピュータの心は、コンピュータから離れない。コンピュータには「超越的主観性」はない。

コンピュータは、コンピュータ以下の存在になれるだろうか。コンピュータ以上の存在になれるだろうか。コンピュータではない存在になれるだろうか。

コンピュータが人間になってゆくシンギュラリティはあるのだろうか。コンピュータがコンピュータでなくなって、それでもまだコンピュータであることができるのだろうか。

人間の心=意識は、「ない」に向かってはたらいている。なくなるはずがないのだが、「ない」に向かっているから、「ない」という心地になることができる。そうやって音は、自分の鼓膜ではなく対象のもとで鳴っている……ように感じる。

快楽とは「自分が消えてゆく」心地のこと。そうやって「われを忘れて」夢中になってゆく。

コンピュータには、コンピュータであることの「かなしみ」はあるだろうか。それがなければコンピュータでなくなってゆくきっかけは生まれないし、なくなってゆくことの快楽もない。

コンピュータは、自分が消えてゆくことを体験することができるだろうか。それができなければ、好きになることもない。好きになる理由を無限に察知することはできても、「好きになる」ことはできない。

 

 

人類の視線の先には「人類滅亡=消えてゆく」という「カタストロフィ(=悲劇的終末)」があり、時代はつねにそういう「消失点」に向かって生成している。永遠に栄える時代や権力などないし、「栄えることを目指す」というそのことが人間性の自然に矛盾しており、だれもがそういう欲望をたぎらせて生きるとかだれもが幸せになるとかという世の中など原理的にあり得ない。だからいろんな意味で社会的格差はどうしても生まれてくるし、格差の低い落ちこぼれが人間として劣っているともいえない。ある意味で、落ちこぼれることのほうが自然だともいえる。なぜなら人類は、人類滅亡を夢見て生きている存在だからだ。そうやって進化発展してきたのであり、そうやって知性や感性を花開かせ社会的に活躍してゆきもする。

人の心や命のはたらきも、時代や社会の動きも、「人類滅亡」すなわち「カタストロフィ=消失点」に向かって活性化する。けっきょく社会的に落ちこぼれることも活躍することも差異がないといえばないわけで、たとえば日本列島の精神風土の伝統においても、さっさとあきらめる潔さと死ぬまであきらめないひたむきさが同居しており、どちらも「カタストロフィ=消失点」に向かう心の動きにほかならない。人間は本質において怠惰な生きものであるといわれており、それはひとつの消失願望だが、と同時にこの国の職人の「死ぬまで修行です」という探求心だって、わが身を捨てて技術に命を捧げるという消失願望以外の何ものでもない。

どれほど闘争や競争のさかんな社会でも、いつかきっと沈静化してゆくというかバーン・アウト(=滅び)のときがやってくる。人類史は、幾度となくマンネリズムの時代を繰り返してきた。どんな時代の栄華も、けっきょくは人間性の自然としての「消失願望」に抗えない。

いやもう、生きものの命のはたらきそのものが「消失願望」の上に成り立っているのであり、だから「生物多様性」になるわけで、どんな強い生きものも無限に生息域を広げることはできない。

そして人間だけは無限に生息域を広げてきたといっても、人間の場合はさらに「消失願望」が強く、ひとりひとりが「消えてゆく快楽」の上に存在しており、まあそうやって原初の人類は二本の足で立ち上がった。それは、四本足の猿が地上におけるみずからの身体のスペースを最小限にする姿勢だったし、この上なく危険で不安定な姿勢でもあった。その消えてゆこうとする孤立性や悲劇性を携えて集団からはぐれ出てゆき、また新しい集団をつくってその不安やかなしみをなだめ合うように連携していった。そうやって無限に生息域を広げてゆき、さらには無限に大きな集団になっていった。

じつは人間こそ、もっとも深く切実に「消失願望」を生きている存在なのだ。したがって人間の世界もまた「生物多様性」のかたちで棲み分けているのであり、国の中にもいくつかの県があり、さらにその中にもたくさんの市町村に分かれている。そしてその村の中だって、集落ごとに郷や字の区別がある。そうして小さな単位の集団になればなるほど、集団どうしの連携が濃く生成している。

 

 

人間の集団性の本質は、国家であれ村であれ、中央集権的に「結束」してゆくのではなく、小さく分かれながらそれぞれが「連携」してゆくことにある。

家族という集団の本質だって、親が子を支配するというような家父長的中央集権的なかたちではなく、それぞれが「消失願望」とともにみずからの「テリトリー」を狭くしながら他愛なくときめき合い助け合い連携してゆくことにある。

父親が最大限に「テリトリー」を広げて家族を支配してゆくという家父長制度など、まったく非人間的だといえる。

昔の大家族制度であれば、両親の上に祖父母という「大旦那」「大奥様」がいたわけで、権力がひとつのところに集中しない仕組みになっていた。これは、天皇制に似ている。最上位は権力者ではない、というシステムはこの国の集団性の伝統であり、国家だけでなくどんな小さな集団にも及んでいる。

戦国時代の武士軍団の最高指揮官は、たとえば軍師と呼ばれ、大将の下にいたし、ときには軍師が大将を罷免することもあった。つまり軍師は、大将の下というよりも、大名=総大将の直接の部下だった。日本的なこの集団システムのしくみはいろいろとややこしく、権力=責任の所在がつねにあいまいで、それはもう、戦時中の軍部だろうと現在の企業だろうと、ほとんど変わっていない。

いちばん上に天皇がいて、じっさいに支配統治する権力を握っているのは政治家であるということ。これはもう、古代の大和朝廷の発生のときからずっとそうだったのであり、天皇がじっさいの権力者であった時代など一度もない。権力者によって、ずっとそのように偽装されてきただけで、そのように偽装された古文書が残っているだけのこと。

この国の権力者は、民衆と天皇のあいだに立って民衆と天皇の両方を支配する存在である。それはもう、明治以来の近代史においても大和朝廷発生の古代においても同じであり、今どきの右翼政権は「天皇崇拝」のスローガンを掲げながら大手を振って天皇を支配束縛し、民衆支配の道具として利用している。こんなことはもう、大和朝廷がはじまったときからそうなのだ。彼らが天皇を崇拝しているということは、天皇と民衆の関係に寄生するように登場してきたことを意味するわけで、天皇がいなくても民衆を支配できるのなら、とっくに天皇を殺している。

権力者による天皇支配は、古代のほうがずっとあからさまで、たとえば大津皇子とか有間皇子とか、権力者が平気で次期天皇候補に浮上してきた別の皇太子を殺していたのであり、しかもそれは天皇の命令であるという大義名分の上になされていた。つまり、権力者どうしで、どちらを次の天皇にするかと争っていたのであり、強い勢力は「天皇の命令である」という勅書を天皇に書かせることができた。天皇がじっさいの権力者ならそんな命令をするはずがないし、どちらかひとりがナンバー2になればいいだけだが、ナンバー2の実権者は天皇の息子であってはならなかった。次期天皇候補は、殺されるか天皇になるかのどちらかの人生しかなかった。

そしてそのころの天皇の仕事は、次期天皇候補をつくる色ごとが中心だったわけで、多くの権力者が女を差し出してくるし、天皇自身もそういうことには積極的だったし、色ごとこそがそのころの文化風土の基盤になっていた。そのあたりのことは、古事記万葉集源氏物語によくあらわれている。色好みの光源氏は、まさに一般的な天皇のイメージだったのだ。だから光源氏の息子たちも、恋に生きる男として描かれている。

 

 

色ごとが文化風土のお国柄だから天皇制が成り立っていた、ともいえる。

天皇は権力者ではないからこそ、すなわち美しく魅力的な存在だからこそ、民衆も進んで祀り上げていった。何しろ色ごとが文化風土のお国柄なのだから、強いことよりも美しく魅力的であることのほうが、祀り上げるべき「権威」になりえていた。

天皇は、古代のときからすでに自分を捨てた無私の精神の持ち主で、そうでなければ天皇になれなかったし、それもまた、この国においてはこの世でもっとも美しく魅力的な心にほかならなかった。

天皇は歴史の初めからそういう存在だったのであって、「神武東征」などという勇ましい物語で登場してきたのではもちろんないし、権力社会にはそういう物語を捏造しなければならない必然的な理由があった。

古代および古代以前の日本列島では、だれもが色ごとに明け暮れて生きていた。古事記万葉集を読めば、そうとしか考えられない。そしてその集団性というか共同性が色ごとの文化の上に成り立っていたということは、ただ単に下世話であったということではなく、人と人のときめき合う関係を大事にする社会であったということを意味する。だからこそ、社会においてもっともも権威をそなえた存在は、もっとも強い存在の権力者ではなく、もっとも美しく魅力的な存在としての天皇であらねばならなかった。

まあ「源氏物語」に描かれた色好みの光源氏は、その当時の特殊な天皇像ではなく、理想の天皇像だった。そのとき天皇が実質的な権力者であったのなら、許されるような話ではなかった。古代の日本人にとっての天皇は、神武天皇のような「征服者・統治者」が理想であったのではではないし、歴史的に天皇はそんな遺伝子をそなえた存在ではなかった。

天皇は色ごとに明け暮れる能力を持っていなければならなかったし、そんな天皇であればこそ、みんなが祀り上げてゆく存在でありえた。

 

 

現在の天皇のことを考えればよくわかることだが、この国においてもっとも高潔な精神は、「無私」であることにあり、そこに天皇のキャラクターの本質がある。自己を消去すること、しかしこの国においてそれは、仏教的な悟りの境地とかというようなことではなく、その「消えてゆく」ことこそが快楽の本質であり色ごとの醍醐味だからだ。

色ごとこそ、この国の文化の伝統の基盤なのだ。

僕は天皇制がいいのか悪いのかということはよくわからない。しかしこの国の歴史において天皇が「支配・統治者」として登場してきたと考えるのは間違っているし、そんな存在であったことなど一度もないのだ。

上代天皇が名君だったとか暴君だったとか、さまざまな毀誉褒貶の伝説があるが、すべてはただの作り話だし、けっきょくは色ごとにまつわるエピソードを中心に語り伝えられてきた。まあ名君だろうと暴君だろうと、古代人が歴史を語るのにそんなことはどちらでもよかった。もともと権力を持っていないのだから、それによって現実の歴史がどうなったわけでもない。

そして、天皇の色ごとのことを語っても、それが天皇を貶めることにはならなかった。

古代および古代以前の日本列島は「色ごと」の文化の上に成り立っており、そのことの象徴として天皇が祀り上げられていた。

これは、人間としてとても本質的なことだ。人類は昔にさかのぼればさかのぼるほど人間として本質的であったに決まっているし、四方を荒海に囲まれた日本列島では世界のどこよりもそうした原始性を色濃く残して歴史を歩んできたのであり、その原始性の上に成り立った文化をどこよりも高度に洗練・発達させてきた。

人間であることや命のはたらきの本質は「ない」に向かうことにある。「消えてゆく」ことのカタルシス(快楽)、すなわち「消失願望」こそが色ごとの本質であり、そのことの上に「無常」や「あはれ・はかなし」や「わび・さび」の文化の伝統が育ってきた。

原始的であることは、それこそが人としての「究極」のかたちでもある。なんのかのといっても歴史は、「命のはたらき」の本質によってつくられている。人が人であるかぎり命のはたらきの本質を超えることはできないし、命のはたらきの本質は命のはたらきを超えてゆこうとすることにある。それが、「ない」に向かう、ということだ。

 

 

人も生きものも、命のはたらきの「消失願望」とともにみずからの「権力=責任=テリトリー」を縮小してゆこうとする衝動を持っており、それによって「生物多様性」が成り立っているのだし、その「消失願望」こそがつまるところ人類普遍の「贈与=献身」の生態になり、時代や権力者の栄華もいつかは滅びるという歴史の法則になっている。そしてそうした時代の推移は、ゆっくり変わるとはかぎらず、あるとき劇的に変わることもある。

風が吹けば、時代は一気に変わる。われわれにその予測はできない。ともあれ人は「今ここ」に生きてあることの「嘆き」の上に存在しているのだから、変わらないはずがない。命のはたらきは命のはたらきを超えてゆこうとすることにあり、それは「ない」に向かうことにある。

人間社会は、命のはたらきを超えて「永遠の命」に向かおうとする動きと、「ない」に向かおうとする動きとのせめぎ合いとして動いており、前者はつねに栄えつついずれは滅びるということを繰り返してきた。そうして後者は、けっして途絶えることのない地下水脈として流れ続けてきた。つまり、いつの時代も栄耀栄華を誇る者がいて、いつの時代も置きざりにされ途方に暮れている者たちがいる、ということ。そして、地下水脈である後者のほうが、つねにマジョリティなのだ。

いずれにせよ人間であることの自然・本質は生きてあることの「嘆き=かなしみ」にあるわけで、それがなければ「富」も「幸せ」も欲しがらない。

「嘆き=かなしみ」が人間的な魅力を生み、人間的なときめきを生む。「嘆き=かなしみ」がこの生を活性化させ、人間的な色ごとを豊かにしている。

日本列島の「色ごとの文化」の伝統は、生きてあることの「嘆き・かなしみ」の上に成り立っている。

コンピュータに、生きてあることの「嘆き=かなしみ」はあるか?もともと生きていないのだからあるはずもない。「嘆き=かなしみ」の何たるかをどれだけ深くたくさん知っていようと、それは「嘆きかなしむ」ということとは違う。「嘆きかなしむ」という心の動きが、人間的な思考の「超越性」を担保している。

コンピュータの思考に「超越性」はない。どこまで行ってもこの世界と地続きなのだ。

同様に、宗教が教える「天国」や「極楽浄土」だって、この世界と地続きのものでしかない。宗教には、「超越性」はない。

あの山やあの水平線の向こうに何があるのだろう、と思うことも地続きの思考でしかない。しかし原初の人類は、その向こうには「何もない」というそのことに引き寄せられながら地球の隅々まで拡散していった。そこにこそ、人間的な思考の「超越性」がある。

 

 

コンピュータは、「答えがない」ということに向かって計算し続けることができるか?「答えがない」という「嘆き=かなしみ」を生きることができるか?

この国の浄土真宗では「死んだら極楽浄土に行けるということなどいっさい考えるな、そんなことはすべて阿弥陀如来にお任せせよ」と説く。これは「何もない」ことに向かって思考する態度であり、古代の神道が「死んだら何もない真っ暗闇の黄泉の国に行く」と説いていたのと同じ思考であり、そこに日本的な思考の伝統がある。

セックスの醍醐味は「消えてゆく」心地のエクスタシー=オルガスムスにあり、それは「何もない」世界に向かう行為である。原初の人類は、そういう人間的な思考の「超越性」とともに地球の隅々まで拡散していった。

日本列島の文化の伝統・本質は「色ごと」にあり、そこにこそ人間的な思考の「超越性」のダイナミズムがある。

古代の日本列島の文化土壌が「色ごと」にあったということは、人々の思考が宗教以上にというか非宗教的なまでに「超越的」であったということを意味するのであり、その「超越性」の象徴として天皇が祀り上げられていた。

まあ、いかにも地上的現世的な政治支配に天皇が深くかかわっていたことなど、あるはずがないではないか。たとえば光源氏のように、色ごとに夢中になっている天皇こそ、もっとも天上的超越的なのだ。

古代の日本列島では近親相姦も不義密通もなんでもありで、そこにこそ古代文化の「超越性」があり、それを天皇という「かみ」が率先してやっていた……ということが古事記万葉集源氏物語を読めばよくわかる。

古代の日本列島においては、政治のことは政治家(権力者)に任せ、天皇も民衆も「色ごと」に熱中していた。その伝統があるから現在でも「無党派層」とか「無関心層」が大半を占めているわけだが、「無党派層」や「無関心層」であるためには選挙に行って権力の暴走にひとまずブレーキをかけておく必要がある。それを「民主主義」というのだろう。

われわれ民衆にとっては、政治や経済がこの生の最重要テーマではない。そして最重要のテーマではないという生き方をするためにはひとまず最低限はかかわる必要がある、ということだろうか。

「一期は夢よ、ただ狂え(閑吟集)」……コンピュータは、狂うだろうか?狂うことを生きることができるだろうか?

「かわいい」とときめくこと、たったそれだけのことにだって、コンピュータにはない人の心の「超越性」がはたらいている。それはまあ、ひとつの「消失願望」であり、「人類滅亡」を願う心でもある。そのようにして心は癒され、活性化してゆく。

 

 

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キンドル」から電子書籍を出版しました。

『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』

初音ミクの日本文化論』

それぞれ上巻・下巻と前編・後編の計4冊で、一冊の分量が原稿用紙250枚から300枚くらいです。

このブログで書いたものをかなり大幅に加筆修正した結果、倍くらいの量になってしまいました。

『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』は、直立二足歩行の起源から人類拡散そしてネアンデルタール人の登場までの歴史を通して現在的な「人間とは何か」という問題について考えたもので、このモチーフならまだまだ書きたいことはたくさんあるのだけれど、いちおう基礎的なことだけは提出できたかなと思っています。

初音ミクの日本文化論』は、現在の「かわいい」の文化のルーツとしての日本文化の伝統について考えてみました。

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『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』上巻……99円

『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』下巻……250円

初音ミクの日本文化論』前編……250円

初音ミクの日本文化論』後編……250円

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