神は、女の性器に宿っている

 

吉野裕子の『日本古代呪術(講談社学術文庫)』は、興味深い読み物だった。日本列島の古代呪術は「女陰信仰」の上に成り立っている、という。それは、僕が考えている「色ごとの文化」の伝統とも通底していることで、なるほどとうなずけることも多かった。

ただ、ちょっと違和感が残るのは、そうした古代呪術がもともと日本列島に存在していた「原始呪術」と中国伝来の「陰陽道」という呪術が「習合」してつくられていった、という基本的な問題設定に対してだった。

陰陽道の影響を受けているのは確かなことだし、「女陰信仰」に上に成り立っているのもきっとそうだろうと思う。だが、なぜそれ以前に「原始呪術」が存在していたと決めつけるのか、そこのところがどうしても納得できない。

古代および古代以前の民衆にとっての「女陰信仰」は、あくまで純粋な「あこがれ」だったのであって、「呪術」ではなかった。

彼女は、原始呪術を説明するのに、沖縄に残るそれを引き合いに出している。これは、現在のこの国の知識人による常套手段である。吉本隆明折口信夫梅原猛、みんなそうだ。しかし沖縄は、地理的な条件からいっても日本列島本土よりもずっと早くから中国大陸との交渉があったのだから、沖縄に残る古い呪術が中国大陸と無縁だったとはいえない。

つまり、本土よりも沖縄のほうが先に中国伝来の「呪術」の洗礼を受けているのだ。そしてそれは、沖縄のほうが早くから「共同体(あるいは国家)」という意識に目覚めたということであり、本土においてはより遅れたまま、いまだにいまだにその意識が希薄で、政治における「無党派層」や「無関心層」がたくさんいる状況のままでいる。そうやっていまだに「女陰信仰=色ごとの文化」が色濃く残っているから、たとえばフーゾク産業で「裸で抱き合っても最後の一線を超えるのはだめだ」などという奇妙な営業システムが成り立っている。また「日本のエロビデオは世界でもっともレベルが高い」などといわれたりするのは、女の喘ぎ方のニュアンスがとても豊かだということにあるらしいのだが、これなどはまさしく「色ごとの文化」の伝統だろう。そうして「女陰信仰」の文化だから、女陰のことを「観音様」と呼んだり、江戸の吉原や京都の島原の花魁が女神のように祀り上げられたりしてきたのだろうし、もともと女の貞操観念が薄い土地柄で今どきは人妻不倫が流行ったりするのも、けっきょく「女陰信仰」の社会だから許されていることにちがいない。キリスト教社会でこんなことは、神も男も許さない。

すなわち「女陰信仰」は、非宗教で非呪術なのだ。

 

 

もともと「呪術」などというものは文明国家から生まれてきたものであり、国家が存在する以前の原始社会に「呪術」が存在していたという考古学の証拠などなど何もない、縄文時代火焔土器土偶が呪術の道具だったということなど、呪術があったという前提の上で学者たちが勝手にそう決めつけているだけであり、僕はそうは考えない。それは、純粋に人の心の「芸術的な衝動」から生み出されてきたものではないのか。「人情の機微」の問題だ、と言い換えてもよい。人としての純粋に造形的な感覚の問題ではないだろうか。

「神は妄想である」とういう本を書いたリチャード・ドーキンスによれば、ポリネシア諸島の人々は「カーゴカルト・ジョン」などといって大航海時代にやってきた西洋人に教えられて初めて「宗教=呪術」に目覚めたらしい。彼らは呪術思想を受け入れることができる思考様式をすでに持っていたが、呪術思想を持っていたわけではない。たとえ両者の思考様式に共通項があったとしても、両者のあいだには越えがたい天と地ほどの隔たりがある。われわれ無宗教のものだってかんたんに「神」という言葉を使いイメージしているが、いざ何かの宗教に入信するときには、越えがたい川を超えてゆく心の飛躍を必要とする。そのようなことだ。

人の心(=思考)は越えがたい川を超えてゆくことができるが、それは何も「宗教=呪術」だけの特権ではなく、学問であれ芸術であれセックスであれときめきであれ憎しみであれかなしみであれ、人の心そのものが「越えがたい川を超えてゆく」はたらきであるともいえる。

まあ、「越えがたい川」を超えて「意識」が発生するのだ。

原始時代に「宗教=呪術」があったと安直に決めつけてしまうべきではない。宗教と非宗教のあいだには、越えがたい川が横たわっている。人類史における「宗教=呪術」は、文明国家から生まれてきた。

 

 

この本の著者である吉野氏は「日本列島土着の原始呪術が陰陽道と習合した」というが、おそらくそうではない。この国の古代以前に「原始呪術」などというものはなかったのだ。もしあったら、陰陽道なんか拒否する。「宗教=呪術」というのは、もともとそういうものだ。「習合」したら霊験がなくなってしまうではないか。そうやって人類は、長い長い「宗教戦争」の歴史を繰り返してきたのであり、今でもそうだ。習合なんかできるはずがない。それでも習合したように見えるのは、陰陽道をもとにして古代の呪術が生まれてきただけのことだからだろう。それは沖縄においても同じであり、古代人がもともと持っていた世界観や生命観に合わせて陰陽道を取り入れていったのだ。そのとき陰陽道は世界最先端の世界観や生命観を説明する学問だったのであり、人々がそれを学び取り入れていったのは自然ななりゆきだったのだろうが、自分たちがもともと抱いている世界観や生命観を変更するわけにはいかなかったために、何とか工夫して折り合いをつけていった。

吉野氏は、古代以前から沖縄も含めた日本列島にあったのは「女陰信仰」だった、という。それが「信仰」であったのかどうかはともかく、古代以前の日本列島ですでに生成していたのは「色ごとの文化」だったのであり、女が中心の世界観や生命観だったのだから、その意味ではきっとそうだったのだろう。

雛祭りの「菱餅」は「女陰」をかたどっているのだとか。なるほど、と思う。神社にある「みてぐら」という「神の座」をあらわす石や岩も「女陰」の象徴である、と吉野氏はいう。きっとそうに違いない。ただ吉野氏はそれを「生命の誕生と再生」の象徴だというのだが、古代以前の世界観や生命観の本質はそんな宗教的呪術的なことではなく、「色ごとの文化」が基礎になっているだけのことだろう。彼らにとっては、「命」がどうのこうのという以前に、心が豊かにときめくとか世界が輝いているということをよりどころにして生きていただけであり、それを基礎にして世界の神羅万象を解釈していたのだ。

命がどうのという理屈は生き延びることにあくせくしている文明人の関心事であって、「もう死んでもいい」という勢いで生きていた原始人においては「死後の世界」も「生まれ変わり」も意識になかった。そんなことは、陰陽道と出会ってはじめて知ったのだ。

 

 

原始神道の「死んだら何もない黄泉の国に行く」という生命観は、「死後の世界などない」といっているのと同じなのだ。古代以前の日本列島の住民はそう考えていたのであり、そんな彼らがどうして「生まれ変わり」など発想できよう。彼らにとっては、その「ない」というそのことが救いで心ときめく大きな関心事だったのであり、その「消えてゆく」ことのエクスタシーこそ「色ごとの文化」の本質なのだ。

そして「死後の世界などない」ということは、仏教や陰陽道が入ってくる前のこの国には「霊魂」という概念がなかったことを意味している。そうして仏教や陰陽道によって「霊魂」という概念を知った彼らは、それと自分たちのもともとの世界観とどう折り合いをつけるかと考えながら「黄泉の国」という概念を生み出していった。彼らの思考においては、「かみ」も「仏」も「死後の世界」も「霊魂」も、「ない=非存在」というかたちで肯定され認識されていった。つまり彼らは、今どきの歴史家よりもずっと高度で哲学的な思考をしていた、ということだ。

日本列島の古代以前の人々は、吉野氏のいうような「生命の再生」などという俗っぽいことを考えていたのではないし、そんなところに日本的な「女陰信仰」の本質があるのではない。そんな現代的文明的な尺度で彼らの心を推量するべきではない。彼らの思考は、もっとプリミティブであると同時に、もっと高度に哲学的だった。

吉野氏は「祭り」と「呪術」を同列に考えてしまっている。そこに、彼女の思考の限界がある。原始的な神道はたんなる「祭り」の習俗だったのであって、「呪術」の要素などなかった。ただもう一方的に「かみ」という「神羅万象の輝き=本質」を祝福し祀り上げていただけであって、それによって何かを得ようというような目的はなかった。「祝詞」というのはもともとそのような性格のものであり、「五穀豊穣」とか「家内安全」とか「厄除け」とか「悪霊退散」とか、そんな「祈願=呪術」は陰陽道の影響としてはじまったことに過ぎない。

たとえば、「言挙げしない」というのは古代人の生活上のひとつのたしなみで、それは万葉集にも書かれてあるのだが、「言挙げ」とは「呪術=祈願」のことだ。万葉集のころにはすでに仏教や陰陽道の影響で「呪術」が広まり始めていたのだが、それでも神道の基本的なコンセプトは「呪術=祈願なんかしない」ということにあった。これは、古代以前に呪術がなかったことの大きな状況証拠である。

上代から古代にかけての最初の神道は、仏教や陰陽道に対するカウンターカルチャーのたんなる「祭りの習俗」として生まれてきたのであり、その後に仏教や陰陽道と習合しながら呪術の要素も加えていった。最初の原始神道においては、「かみ」を祝福しても、「かみ」から何かをしてもらおうというような願いなどなかった。

まあ、呪術の要素を持たなければ、もともとフリーセックスが主たるコンセプトであるお祭り騒ぎはお上からの許しが得られなかったし、やがては「悪霊退散」という汚れ仕事は民衆の神道が一手に引き受けるようになっていった。

「鎮守の森」の「鎮守」とは、「霊鎮(たましず)め=悪霊退散」ということ。そして「天神さま」といえば菅原道真の怨霊を鎮めるための神社だが、民衆はその怨霊までも祝福していった。ただもう他愛なくときめいてゆくのがほんらいの神道であり、呪術もくそもあるものか。

 

 

たしかに古代の呪術や習俗は陰陽道の影響を色濃く受けているのだろうが、吉野氏のいう「女陰信仰」は日本列島独自のものであり、呪術とは別の呪術以前のものとして語られねばならない。この本ではほとんどの記述が陰陽道の影響のことに当てられているのだが、そうではなく「女陰信仰」だけを取り出して語ってほしかった。その「女陰」を古代人は「生命の誕生と再生(=生まれ変わり)の象徴」として考えていたと決めつけられると、ちょっとがっかりしてしまう。「生命」という概念と結びつけると何か高尚な学問的思考のようだが、じつはそれこそが通俗的な思考なのだ。

「女陰」とは「おまんこ」であり、あくまで「セックス=色ごと」の象徴なのだ。そしてその「消えてゆく」ことのエクスタシーこそが日本的な世界観や生命観や美意識の基礎=伝統になっているのであり、そこにこそ人類のもっと深く高度な思想的哲学的な問題が潜んでいる。

「生命」という概念を生き延びたいという現代の文明的な欲望で考えると、ひとまず「誕生と再生」という問題設定になる。しかし「いつ死んでもいい」という覚悟で生きていた古代人や原始人にとっては、「消えてゆく」ことのエクスタシーにこそ命のはたらきの本質があった。

存在と非存在……生き延びようとする欲望が旺盛な現代人が考える命のはたらきは、「存在」に向かうこと、すなわち「存在」を生産し獲得し所有してゆくことにある。しかしわれわれの「今ここ」においては「すでに存在している」のであり、「いつ死んでもいい」と思って生きていた古代人や原始人は、生産し獲得し所有してゆく未来のことなどどうでもよかった。だから彼らにとっての命のはたらきは命を消費することであり「生ききる」ことにあった。すなわち「非存在」に向かって「消えてゆく」こと。彼らにとって「生きる」ことは、「生産」ではなく「消費」だった。

頭の中を文明社会の生産主義に毒された人間が、命とは「誕生と再生(生まれ変わり)」だという陳腐で観念的な問題の立て方をしてしまう。この国の古代や原始時代の民衆は、そんな宗教的妄想で生きていたのではない。ひたすら「今ここ」を「生ききる」ことを願い、そうやって「今ここ」の世界や他者の輝きとの「出会い」にときめいたり「別れ」にかなしんだりしてゆくことの上に彼らの世界観や生命観があった。

彼らにとって赤ん坊が生まれてくることは、「誕生=生産」ではない。そんな今風のもっともらしい観念的屁理屈なんかどうでもよろしい。それはもう、純粋に「出会いのときめき」の体験だったのであり、それ以上でも以下でも以外でもなかった。

セックスをして男の精子を女の体の中に注入すれば月満ちて子供が生まれてくる……というくらいのことは彼らだって知っていたに違いないが、その仕組みを操作し支配しようとする発想などなかったし、操作し支配している何ものかがいるとも思わなかった。ただもう赤ん坊が生まれてきたという事実にときめき祝福していっただけだ。そうやって世界の輝きにときめき祝福してゆく集団行事として「祭り」があったのであって、もともとそれは「呪術」でもなんでもなかった。

彼らは、世界の神羅万象のしくみを知ろうと思ったが、それを支配しようとは思わなかった。そんな人たちのすることを、どうして「呪術」というような手垢にまみれた言葉=概念で語らねばならないのか。

 

 

この記事を書きはじめたときは、吉野氏のこの著作をけなすつもりなどなかったのだけれど、書きながらなんだかだんだん腹が立ってきた。

世の歴史家の、安直に「原始宗教」や「原始呪術」があったと決めつけているその思考が気に入らない。

もともとたんなる祭りの習俗にすぎなかった原始神道が古代の仏教や陰陽道と「習合」しながら「呪術」的な性格を帯びていったことはたしかだろう。しかしそれでも、もともと「呪術」ではなかったのだから、その本質はあくまで「祭り」の習俗だったのであり「色ごと」の文化だったのだ。

日本列島の文化の伝統は、「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」にある。古代および古代以前の民衆は、そのことを基礎にしてこの世界の神羅万象を解釈していったのであって、それを操作・支配してゆこうとしたのではない。彼らがそうした「呪術」を中心にして生きていたのなら、いかにもこの国らしい「なりゆきの自然に身をまかせる」という文化など生まれてくるはずがないではないか。

また、なりゆきに身をまかせる文化だから、「出会いのときめき」が豊かになるし、「別れのかなしみ」も深くなる。彼らは、神道の祭りを「出会いのときめき」の場とし、仏教には「別れのかなしみ」を仮託していった。そうやって神仏習合してゆき、神道で結婚をし、仏教で葬式をする、という習俗になってきた。それは、もともと「呪術」の伝統がない風土だったことを意味している。言挙げすなわち願い事などしないで「今ここ」のなりゆきに身をまかせる文化なのだ。

ひとまず形だけ「神だのみ」をしても、それでなんとかなるとは思っていない。神に「たのむ」のではなく、神に「おまかせする」文化であり、そういう「なりゆき」の文化なのだ。それが民衆社会の伝統であり、この違いを踏まえて歴史を考えるなら、そうそう安直に「原始宗教」とか「原始呪術」とか「アニミズム」などという言葉は使えないのだ。

 

 

もちろん、たとえば高松塚古墳の壁画には陰陽道そのものの世界観が描かれているわけだが、それは古代の権力社会が中国文化をまねてそうしただけのことであって、民衆社会にもそうした世界観や生命観が浸透していたとはいえない。

民衆社会は、陰陽道に影響されつつも、つねに原始神道の「色ごとの文化=祝福の文化」を守ってきた。

陰陽道には、方位をはじめとするさまざまな決まりごと(呪術)がある。しかし民衆はそれを基本的には「祝福の作法」というか「生活のたしなみ」に変えてきたのであって、願いがかなうかかなわないかは「なりゆき」しだいだという思いで歴史を歩んできた。だから、かなわなくても神社に行けばあたりまえのようにしておみくじを引く。それは、「祝福の作法」なのだ。神社というめでたい空間に立っていることの浮き立つ気分というか、つまりそうやって「かみ」を祝福する行為としておみくじを引いたり賽銭を投げ入れたりしている。

民衆の祭りの作法に陰陽道の影響があるからといって、いったいそれが何なのだ。べつに陰陽道を心の底から信じているわけではないし、そんなところに民衆の祭りの本質があるのではない。権力社会はともかくとして、民衆の「祭り」の本質は「呪術」にあるのではなく、どこからともなく集まってきた人々が世界や他者の輝きを祝福しつつ無主・無縁の混沌のままに他愛なくときめき合ってゆく、その「賑わい」にある。

古代および古代以前の民衆の暮らしの基礎になっていたのは、純粋な「祭りの賑わい」すなわち世界や他者の輝きに対する「ときめき」だったのであって、世界や他者を支配するための「呪術」だったのではない。そしてそれはもう、日本列島の民衆社会の伝統として現代人の心にも受け継がれている。

だから現在の「無党派層」や「無関心層」を投票所に連れてくるためには、「ときめき=感動」が組織できなければならない。民衆社会のエネルギーは、そこにこそ宿っている。

まあ「正義・正論」なんてただの「呪術」であり、そんなものでは無党派層や無関心層は動かない。

 

 

古代人や原始人が迷信深かっただなんて、何をとんちんかんなことをいっているのだろう。いちばん迷信深いのは、現代人なのだ。

原始社会に「都市伝説」はあったか?あったはずがないだろう。

原始社会に「正義・正論」という名の「法=呪術」で人を裁く制度があったか?あったはずがないだろう。

「呪術」などというものは文明社会が生み出したのであり、現在の政治経済はすべて「呪術」で動いているではないか。

お金=貨幣は、現代社会のもっとも重要な「呪術」のアイコンのひとつだろう。ただの紙切れ(あるいは数字)に「霊力」を吹き付けて食い物や自動車や家と交換できるものにしてしまう。

現代人こそ「呪術」に縛られて生きている。

ヘイトスピーチ……すなわち呪いの言葉。この言葉を吐く者こそが、真っ先にその呪いに縛られている。現在の政治経済の支配層は、そういう者たちの巣窟になっているらしい。

しかし「呪術」は、本質的には日本列島の民衆社会の伝統ではないのであり、観念的には呪術を受け入れつつ、歴史の無意識においてはそれを拒否している。「もう死んでもいい」という勢いで「なりゆきに身をまかせつつ、他愛なくときめき合い助け合ってゆく。

民衆社会の世界観においては、森羅万象はただもう「なりゆき」で動いているだけであり、その動きの法則を知りたがっても、その動きを支配している存在など信じていない。その動きの法則を知りたいからひとまず「陰陽道」を受け入れてきたが、少なくとも民衆社会においてはそれが「呪術」のレベルにはなり切れていない。たとえば、神社の祭祀で「悪霊を鎮める」といっても、悪霊を祝福し祀り上げるのがその作法の伝統になってきたわけで、はたしてそれは「呪術」といえるのだろうか。かたちだけは呪術のような体裁になっていても、内実は呪術ではない。

何しろ「言挙げしない」のが伝統の国柄なのだ。願うことはしても、願いがかなうかどうかは「なりゆき」しだいなのだ。「なる=なりゆき」の文化……「いい社会なろう」と思っても、「いい社会をつくろう」とは思わない。このへんのニュアンスは微妙だが、まあ、だから革命が起きない。

 

 

民衆社会の歴史・伝統においては、「非呪術」の文化が基礎になっている。「呪いや憎しみ」ではなく、「ときめきとかなしみ」の文化なのだ。つまり、権力社会は「呪いや憎しみ」で動いており、民衆社会は「ときめきとかなしみ」で動いている。

「呪いや憎しみ」で生きている人間が成功できるような社会のしくみがあるし、成功できない民衆のくせに「ときめきとかなしみ」で動いている民衆社会に参加できない「嫌われ者」もまた権力社会にすり寄ってゆく。彼らは、ヘイトスピーチという「呪術」でしか生きるすべはない。

原始時代に「呪術」などなかったし、古代においても、それをまるごと信じていたのは権力社会だけで、民衆社会は表面的に影響されても無意識の部分は無垢のままだった。

世の歴史家は、どうしてあんなにも無造作に「呪術」という言葉を使うのだろうか。民衆社会においては、原始時代であれ現代であれ、「呪術」は「けがれ」なのだ。そしてその「けがれ」をそそぐための「みそぎ」の作法として、古代の「神道」が生まれてきた。

人類の歴史のはじめに「呪術」はなかったし、究極の未来にもそれはない。このことが何を意味するかというと、文明社会が「呪術=宗教」から逃れられないかぎり、その「けがれ」をそそぐための「みそぎ」の作法をつねに必要としている、ということだ。

栄枯盛衰とは、社会における「けがれ」と「みそぎ」の反復である。われわれは今、思い切り「呪術的」になってしまったこのうんざりする社会状況の「みそぎ」を必要としているし、そういう動きはささやかかもしれないがたしかに起こりつつある。

死を間近にしている老人である僕としては、生きているうちに、あの執念深く狡猾な右翼たちが慌てふためきながら自滅してゆく姿を見てみたいものだと思っている。

 

 

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『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』

初音ミクの日本文化論』

それぞれ上巻・下巻と前編・後編の計4冊で、一冊の分量が原稿用紙250枚から300枚くらいです。

このブログで書いたものをかなり大幅に加筆修正した結果、倍くらいの量になってしまいました。

『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』は、直立二足歩行の起源から人類拡散そしてネアンデルタール人の登場までの歴史を通して現在的な「人間とは何か」という問題について考えたもので、このモチーフならまだまだ書きたいことはたくさんあるのだけれど、いちおう基礎的なことだけは提出できたかなと思っています。

初音ミクの日本文化論』は、現在の「かわいい」の文化のルーツとしての日本文化の伝統について考えてみました。

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