夢見る心

 

政府やマスコミの扇動に乗せられて、韓国がどうとかこうとか許せないとか、何をいきがって大騒ぎしているのだろう。

ただのド素人の民衆のくせに、まるで国を背負っているかのような物言いをする。

政府のやることの醜悪さはもちろんのこと、その尻馬に乗って批評・批判精神を失っているマスコミも情けないが、扇動されていい気になっている民衆だって狂っているとしか言いようがない。

そんなふうに正義ぶって相手をけなすことが、そんなに楽しいか。ただのうっぷん晴らしじゃないか。

日本人は、かんたんに世の中の空気に流されてしまう。その無邪気さは必ずしも悪いことばかりではないだろうが、憎しみの連鎖というのはひとつの病理現象にちがいない。もともと外部=異民族との交渉のない島国だから、そういう自家中毒を起こさないための集団性の伝統がある。それが「喧嘩両成敗」とか「水に流す」という習俗であり、この国の伝統においては喧嘩をすれば正義の側だって罰せられたのだ。そうやってすべてを水に流そうとしてきた。

強いものが正義の側に立って怒ったって、誰も拍手をしない。弱い側が堪忍袋の緒が切れ立ち上がったときに拍手をする。それが「判官びいき」であり「忠臣蔵」であり「百姓一揆」であり「ええじゃないか」であり「米騒動」であり、そのときはもう正義も悪もない。そうやってあの時は「アメリカと戦争をしよう」という世論が盛り上がってしまった。

韓国叩きをするくらいなら「アメリカと戦争をしよう」といえ、という話である。ネトウヨというのは、ほんとに考えることがブサイクだ。権力=正義の側に立って自意識を満足させようなんて、意地汚いにもほどがある。それは、まともな日本人のすることではない。そんな見苦しい態度を共有して何がうれしいのか。むやみな韓国叩きなどしないのが敗戦国としてのたしなみであり、プライドというか潔さというものだし、それが日本文化の伝統だろう。

戦争に負けたのだから、国を背負っている者たちは腹を切るしかないのであり、正義の戦争だろうと悪の戦争だろうと関係ない。たとえ民衆だろうと、国を背負って何かをいいたいのなら、敗者としてのたしなみと潔さを持つのが日本人というものだろう。

僕は、今回の日韓問題でどちらがいいか悪いかということなどわからない。ただ、正義ぶって偉そうなことをいうその態度の醜悪さに我慢がならないのだ。

 

 

今やヘイトスピーチが花盛りであるかのような状況だけれど、そういう政府だからそれに追随する者たちの声が前面に出ているというだけのことで、ほとんどの日本人がそうなっているというわけでもないし、もしも政権が代わればここまでのことにはならない。

民主党が政権を取ったときは、ヘイトスピーチが好きな右翼的な議員もたくさんいて、鮮明な党の立ち位置というか思想を示すことができなかった。彼らの政権は、「リベラル」だったから崩壊したのではなく、リベラルに徹しきれなかったから崩壊したのであり、徹してくれれば民衆は支持したにちがいない。なぜならこの国の民衆社会の伝統は、「リベラル」という以上に、ほとんど「アナーキズム」に近いのだから。正義も悪もナショナリズムもどうでもよいという天皇アナーキズム、すなわちただもう人と人が他愛なくときめき合い助け合う社会であればそれでいいと思えるなら、ヘイトスピーチばかりの社会になどなりようがない。

右翼ナショナリズムほど天皇制の本質にそぐわないものはないし、右翼ナショナリズム天皇を支配し利用することの上に成り立っている、

なんのかのといっても現在の自民党政権はゴリゴリの右翼ナショナリズムという立ち位置を鮮明にしているから一部の民衆が引きずられてしまうし、ヘイトスピーチをしてもいい状況がつくられている。

権力者の扇動に流されやすい国民なのだ。

しかしだからこそ山本太郎とれいわ新選組くらいにすっきりとした姿を示して政権交代することができれば、とうぜん世の中の空気も変わってくる。また、それくらいの勢いがなければ、もはや政権交代することはできない。

したがって、今の立憲民主党や国民民主党野党共闘をリードしているかぎり、政権交代なんて夢のまた夢にちがいない。

この国の市民=民衆には、自分の思想などというものはない。だから権力に流されてしまうわけだが、民主主義といってもこの国の市民=民衆が望んでいるのは、とうぜん自分の思想を実現することではなく、市民=民衆を魅了する「無縁者」が持っている異次元的な思想なのだ。

天皇が天上界的な存在だということは、天皇こそこの世のもっとも本質的な「無縁者」にほかならないのであり、人の心は根源において「異次元の世界」を夢見ているし、その夢見る心で人類の歴史は進化発展してきた。天皇制とは、じつはそういう「夢見る心で人間らしく生きてゆこうよ」という問題であり、「今だけ金だけ自分だけ」という通俗極まりないあのヘイトスピーチが大好きな右翼政権とは真逆のものだし、山本太郎とれいわ新選組はまさに「夢見る心で人間らしく生きてゆこうよ」というコンセプトの主張をしている。

 

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キンドル」から電子書籍を出版しました。

『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』

初音ミクの日本文化論』

それぞれ上巻・下巻と前編・後編の計4冊で、一冊の分量が原稿用紙250枚から300枚くらいです。

このブログで書いたものをかなり大幅に加筆修正した結果、倍くらいの量になってしまいました。

『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』は、直立二足歩行の起源から人類拡散そしてネアンデルタール人の登場までの歴史を通して現在的な「人間とは何か」という問題について考えたもので、このモチーフならまだまだ書きたいことはたくさんあるのだけれど、いちおう基礎的なことだけは提出できたかなと思っています。

初音ミクの日本文化論』は、現在の「かわいい」の文化のルーツとしての日本文化の伝統について考えてみました。

値段は、

『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』上巻……99円

『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』下巻……250円

初音ミクの日本文化論』前編……250円

初音ミクの日本文化論』後編……250円

です。