恐竜時代の終焉

現在のこの国は、ほんとうに狂っている。だれもが巨大化複雑化した社会のシステムに呑み込まれながら、その上にあぐらをかいたかたちで政治や経済が動いている。

このままでいいはずがない。政府やマスコミによる韓国叩きのヘイトスピーチなんてどうしようもなく下劣だし、それを下劣だとも思わないでかんたんに扇動されてしまっている民衆もいる。そんな勢力はじつはほんの一部のはずだが、ともあれそんな勢力にすっかり支配されてしまっている。

世の中の人と人の関係そのものが狂ってしまい、いじめとか差別とかセクハラとかパワハラとかDVとかセックスレスとか、さまざまな社会病理を生み出している。

こんな世の中で、まともな政治家や資本家が生まれてくるはずもなく、まともな者たちはつねに少数派であるほかない。

民衆の心を停滞・衰弱させてしまえば、かんたんに支配することができる。あるものはその扇動に乗り、あるものは黙ってしまう。

扇動されて騒いでいれば心(思考)が活発に動いているかといえば、そうではない。だれよりも停滞・衰弱しているから、扇動されてしまう。沈黙して声を上げることができないでいる者たちのほうが、むしろ何ごとかを思い考えていたりする。

ともあれ多かれ少なかれだれもがこの社会のシステムに呑み込まれてしまっていて、あるものはすっかり呑み込まれながら軽挙妄動して大騒ぎし、またある者は途方に暮れて沈黙している。

人の心が変われば世の中も変わるというが、世の中が変わらなければ人の心も変わらない。みんなが世の中のシステムに呑み込まれてしまえば、変わりようがない。

世の中が変わる契機が何にあるかといえば、世の中の外に立つ者が現れてみんなから支持され祀り上げられるということが起きてこなければならない。

人類社会はつねに社会の外に立つ者を祀り上げながら歴史を歩んできた。その代表的な存在が、キリストであり、釈迦であり、この国の天皇だった。そして女や赤ん坊や病人や障碍者や老人、さらには旅芸人や旅の僧や乞食だって、基本的には「社会の外に立つ者」にほかならない。人の世は、いつの時代もそういう「無縁者」を「神の代理人=聖なる存在」すなわち「生贄」として祀り上げながら人の心および集団を活性化させ、その停滞から逃れてきた。十字架にかけられたキリストまさに「生贄」だったし、天皇だってその起源から現在までずっとそのような存在として祀り上げられてきた。

 

 

社会の外に立つ者(=無縁者)を生きさせ祀り上げるということをしなければ社会は活性化しないのであり、それが天皇制の基礎的なコンセプトである。

市民社会」などといっても、市民だけで社会が完結するわけではない。近代社会は市民の中から選ばれた者たちによって動かされてきたことによって、戦争ばかりしたり格差が広がったりする世界になってしまった。つまりそれは、市民間の)競争の勝者が社会を動かしてはならない、ということだ。もちろん、現在のこの国の総理大臣やネトウヨたちのような「勝者になりたがっている敗者」が動かしてもろくなことにならない。彼らは、勝者が選ばれて敗者は排除されるのがこの社会の法則だと信じてしまっているし、「善良な市民」はその理不尽を嘆きつつもひとまずそれを認めてしまっている。

この社会の運営は、社会の外に立った「勝者でも敗者でもない」者に託されねばならない。ただしこれは、精神とか生きざまの問題であって、社会的な身分がどうのという話ではない。この社会に生きる者はすべてこの社会の「市民」に決まっている。

まあ、身分的には、天皇だけがこの社会の外に立っている。そして市民たちは、天皇の存在を、「無主・無縁」の精神でだれもがときめき合い助け合いながら生きることのよりどころにしている。

ほんらい的には天皇を祀り上げることは「民主主義」の精神の上に成り立っているのであり、現在の総理大臣やネトウヨたちは、天皇の存在というか天皇を祀り上げる精神からもっとも遠い者たちである。彼らは、「勝者」であろうとする自意識を満たすために天皇の存在を利用しているだけなのだ。

天皇は、ヘイトスピーチなどけっしてしない。差別もしない。この国のもっとも本格的な「無主・無縁」の人である。

 

 

左翼の者たちだって「天皇の一番の関心事は、天皇家の系譜を守ることにある」とかというが、それはまわりの右翼たちが考えていることであって、天皇自身はそういう現世的な損得勘定の外にいる。彼にとって天皇であることは自分の運命として受け入れているだけであって、自分の「既得権益」だとも「幸福」だとも思っていない。生まれたときから天皇になることを宿命づけられていてその外に出ることができないとしたら、それは「不幸」の範疇のことだろう。彼にとっての幸福は、自分のことではなく世界が輝いていること(例えば民の安寧)であり、「無私の人」であるほかないのが天皇なのだ。

万世一系」とか「男系男子」ということなど、右翼の者たちにとって大事なだけで、天皇のあずかり知らぬことなのだ。また、多くの民衆にとっての天皇のめでたさやありがたさはそんなところにはなく、この世に天皇が存在するという事実そのものにある。

「水に流す」ということが伝統の日本列島においては、過去の血脈・血統のことはたんなる遊びであり、どんなに捏造しても許されるのだ。「万世一系」であれ「男系男子」であれ、明治以降に捏造されたたんなるお遊びで、まあ「そういうことにしておこう」というだけの話にすぎない。そんなことは右翼だけがむきになっているのであって、民衆の中の歴史の無意識においてはどうでもいいのだ。

とくに現在はテレビなどのマスコミによって天皇の顔を知ることができるから「今ここ」の天皇に対する直接的な親密さを持つことができるし、江戸時代以前は民衆のだれも天皇の顔を知らなかったはずだが、それでも今ここのこの世に天皇が存在するというそのことを祀り上げる気持ちはずっと引き継がれてきた。だからこそこの国の天皇制は長く続いてきたのであり、天皇やそのまわりの権力者たちが既得権益を守ろうとがんばったのではない。民衆が支持するから、天皇家を滅ぼそうと思っても滅ぼせなかったのだ。

この国では権力者と民衆のあいだに「契約関係」がないから、天皇を祀り上げていないと民衆を支配することができないし、祀り上げておけば天皇の名のもとに好き勝手に支配することができる。

だから右翼の権力者たちは、天皇を祀り上げつつ天皇のあるべきかたちを「万世一系」だの「男系男子」だの「神の末裔」だのとあれこれ規定しにかかるわけだが、それは権力者にとって都合のいい天皇像であって、天皇自身の自覚とも民衆の無意識が歴史的に思い描いてきたそれとも別のものだ。

 

 

天皇とは何か?

昭和天皇は明治政府が規定する政府にとって都合のいい天皇像を教え込まれて育ったが、平成天皇は戦後の「象徴天皇」とは何かということをつねに自問しながら生きてきたわけで、それは権力者にとって都合のいい天皇像ではなく、民衆に寄り添い民衆の思い描く天皇の姿を問うことだった。

平成天皇が自問する天皇像と世の右翼たちが要求してくるそれとは明らかに違っていたし、彼は皇太子時代からひたすら民衆に寄り添おうとしてきた。

おそらく昭和天皇は戦後の新しい「象徴天皇」という姿をうまく思い描くことはできなかっただろうが、それでも自身が国の一部として機能しているだけの存在にすぎないということは自覚していたにちがいなく、軍国主義の時代の天皇がどんなにしんどい立場であるかということは骨身に染みて知っていたはずだ。

太平洋戦争の敗戦までの昭和初期なんて戦争に次ぐ戦争の時代で、日本人のすべてがほとんど綱渡りのような日々だったのであり、彼は彼なりにどのように民衆との関係を結んでゆくかと煩悶し続けたに違いない。天皇の仕事は「民の安寧」を祈ることであり、それはもう、仁徳天皇の「民のかまど」の話があるように、古代以来の伝統であり、天皇とはそういう歴史を生きている存在であって、「天皇家既得権益を守る」とか、そんなことを第一に考えているのではない。

「激動の昭和」とはよく言ったもので、明治天皇の生涯はただの権力の操り人形でよかったかもしれないが、歴史的な敗戦を体験した昭和天皇はそれだけではすまなかった。彼の父の大正天皇は権力者たちによって表舞台から追いやられたし、それとともにきわめて不安定な身分である「摂政」にさせられた彼自身もさまざまな屈辱を受けた。摂政なんか、権力者の気に入らなければ、殺して取り替えてしまうことができる。そういう圧力に彼が耐えなければ、弟たちがその役目を負わされる。天皇になるまでの我慢だと思い定めて耐えた。そしてその後に天皇になって安定した地位を得ても、けっきょく軍部の暴走を止めることはできなかった。

天皇が神格化されてしまえば、民衆との直接的な関係を持てなくなり、けっきょく民衆の意識は権力者の望む方向に煽動・誘導されていってしまう。明治天皇昭和天皇も、神格化されているがゆえに、民衆に対して無力だった。

右翼の権力者は、天皇を神格化して神棚の奥に閉じ込めておこうとする。だから敗戦後のこの国は、それを反省して「象徴天皇制」にしようとした。さすがに神の末裔として生きてきた昭和天皇はこのことの認識がまだあいまいだったが、平成天皇になってようやく本格的に問われていった。彼は皇太子時代から美智子妃ともども誠実に民衆と世界観を共有しようとしていった。

今やもう天皇を神格化して見ている民衆などほとんどいないし、だからこそより深く親密な関係ができつつある。

 

 

令和という元号名も、新天皇も、おおむね好評らしい。

平成天皇だって、最初はなんだか頼りない存在のように見られていた。

しかし東日本大震災のときの献身的な被災地訪問を境にして、批判はすっかり影を潜め、民衆からの圧倒的な支持を集めていった。つまり、戦後の「象徴天皇」像は、彼によって確立されたともいえる。そしてそれが起源以来のほんとうの天皇の姿だということは、残念ながらまだ周知されていない。それは、明治以後の歴史においては新しい天皇像であると同時に、日本列島の歴史ほんらいの普遍的な天皇像でもある。平成天皇はそれを、大日本帝国の復活を夢見る権力者や右翼知識人に逆らって独自にひたむきに追い求め、確立していった。新天皇が無難なスタートを切ることができたのも、そんな平成天皇の遺産ということもあるに違いない。

平成天皇も令和新天皇も、無表情だった昭和天皇と違って、いつもにこやかに微笑んでいる。

広隆寺弥勒菩薩法隆寺百済観音等、古代の仏像に多く見られる「微笑み」の表情のことをアルカイック・スマイルなどというが、古代においては、洋の東西を問わず「微笑み」こそがこの世のもっとも崇高な表情であったらしい。平成天皇は普遍的な天皇像として「微笑み」を表現していったし、新天皇もおそらく意識的にそれを引き継いでいる。

世の右翼たちは天皇に「王の威厳」のようなものを求めたがるが、それは、日本列島はもとより人類普遍の歴史においても、もっとも「崇高なもの」ではない。天皇を「神」のように崇めたいのなら、「王の威厳」などという俗っぽく現世的な姿など要求するな。

「微笑み」がなぜ崇高であるかといえば、「微笑み」ほど謎めいた表情はないからであり、それは、異次元の世界の表情なのだ。もちろんひねくれものの「冷笑」やバカの「薄笑い」というのもあるが、天上的な慈愛に満ちた「微笑み」というのはやはりあるわけで、国民の目には平成天皇は心からそのように微笑んでいるように見えたし、それは彼自身も80歳を過ぎてもなお日常的に行われている宮中祭祀に欠かさず出て「民の安寧」を祈っていたというその誠実さのあらわれでもあったのかもしれない。彼は、「象徴天皇」とはそういうものだ、と心に決めていたらしい。

「象徴天皇」こそ、起源であり普遍的でもある天皇の姿である。だから、敗戦後の民衆も戸惑うことなくきわめてスムーズのそれを受け入れていった。一部の右翼だけは不服だったのだろうが、民衆の総意がそれをかき消した。

そのとき民衆は、明治維新以来失われていた天皇との直接的な関係を取り戻した。

 

 

天皇は「無私の人」であり、自分のことを忘れてひたすら「民の安寧」を祈り続けている。彼にとっては、「天皇家の存続」のこととか「万世一系・男系男子」ということなどどうでもよいのだ。

天皇家の存続は日本列島の歴史の運命というかたんなるなりゆきだったのであって、べつに天皇が望んだことではなく、権力者がそのように画策しているだけのこと。それを天皇家の望みであるかのように決めつけて非難するのはいかにも短絡的で、戦後左翼は天皇とは何かということを理解しないまま天皇制を否定してきた。

天皇天皇であることを受け入れているだけであり、いつの時代も天皇であるとはどういうことかと問い続けながら歴史を歩んできた。左翼であれ右翼であれ、まわりのものばかりが天皇とは何かということがわかっているつもりでいる。

天皇とは、ひたすら「天皇とは何か?」と問い続けている存在である。そういう意味でこの世に天皇は存在しないともいえるし、「存在しない」ことのその「超越性=異次元性」が天皇であることの証しなのだ。すなわち天皇に「アイデンティティ=私」などというものはない、ということ。その「超越性=異次元性」において「かみ」と呼ばれてきた。「神」ではない、平仮名の「かみ」。日本列島の「かみ」は「存在しない」ことが「かみ」であることの証しであり、したがって天皇にとっては「天皇家の存続」も「万系一世」も「男系男子」もどうでもよいことなのだ。

天皇とはひとつの「精神」であって「存在」ではない。つまり日本人は「もう死んでもいい」という勢いでときめき合い助け合う「心=精神」のよりどころとして天皇を祀り上げてきたわけで、権力社会はそれを利用して天皇の名のもとに「特攻隊」という戦略を生み出したのだし、現在における民衆が搾取され抑圧されている政治状況だって、民衆の「もう死んでもいい」という勢いが狡猾に利用されてしまっている。

とはいえ、天皇制を廃止すればその問題が解決されるわけではない。廃止したら、民衆ほんらいの「ときめき合い助け合う」関係性・集団性までもが壊されてしまう。であれば、天皇を右翼や権力者たちから民衆のもとに取り戻さねばならない。

 

 

明治天皇は権力の操り人形に徹した。それが彼の思い描く天皇像であったし、だからこそ権力者たちから偉大であるかのように評価されてきた。明治天皇を祀る明治神宮は、昭和天皇明治天皇のような操り人形にするために建てられたのかもしれない。

しかし「摂政」としての屈辱を味わった昭和天皇は、たんなる操り人形では終わらない天皇像を模索していった。その思考が明治以来の国家観に囲い込まれていたとはいえ、彼なりに権力者に抵抗し対峙し民衆の側に立とうとしたわけで、基本的に彼は権力者を信じていなかった。だから敗戦受諾の際には主導権を持つことができたのだが、けっきょく敗戦後も大日本帝国が西洋を模倣してつくりだした「神」のイメージにとらわれたまま、古代以来の伝統である「かみ」にはなれなかった。

平成天皇になって、はじめて「かみ」が問われていった。

もともとこの国の天皇は「かみ」であったのであって、「神」として2000年の歴史を歩んできたのではない。

「かみ」としての天皇は、この国の「非存在」の中心である。民衆の心は、そういう「真空」に向かって流れ込んでゆく。しかし明治から敗戦のときまでの民衆は、権力社会が押し付けてくる「神」のイメージを受け入れるだけで、天皇との直接的な関係を結ぶことができなかった。

天皇制の廃止を叫ぶ戦後左翼だって、「天皇の戦争責任」などといったりしながら戦前の天皇像にとらわれたまま、「象徴天皇」とはなにかとか「象徴天皇」ではなぜいけないのかという議論はあまり深めることはできなかった。だから、一部のインテリ層だけで議論が完結しているだけで、一般の民衆の心を引き寄せることはできなかった。

戦前の天皇像がまちがっているのはわかり切ったことで、なぜまちがっているかといえば、この国の伝統として人々の歴史の無意識に根付いているものではないからだ。

敗戦後の「象徴天皇」という概念というかスローガンは、帝国ファシズムの右翼権力者によって幽閉されていた天皇を民衆との直接的な関係のもとに解き放つことだった。そうしてそれは、平成天皇によってはじめて本格的に問われていった。またそれは、この国の天皇制の真の伝統を問うことでもあった。

 

 

戦後左翼は、天皇軍国主義の首謀者とみなして議論をしてきた。だから「天皇の戦争責任」などということになるわけだが、それを問うたら、民衆のすべても裁かれねばならないことになる。それがこの国の歴史的な「事情」なのだ。民衆を扇動したのは権力者やマスコミだが、天皇を戦争遂行に追い込んだのは民衆だったのだ。

天皇は、天皇家の歴史の無意識として、自分が民衆社会の「生贄」であることを知っている。それはもう、天皇であることの本能だといってもよい。

天皇家の存続」を願っているのは日本人であって、「無私の人」である天皇そその人の思ではない。天皇家はただ、その起源のときから日本列島の歴史に翻弄されながら存続してきただけであり、権力社会に対してはいつの時代も無力だった。

右翼や権力者たちは、天皇を「神」と崇めつつ、歴史の無意識においては、天皇なんか自分たちが支配しコントロールするべき道具だというくらいにしか思っていない。だから、天皇天皇家はかくあるべきだというような傲慢なことがいえる。彼らは、人として精神が腐っている。それに対して民衆は、天皇天皇であることその事実だけを純粋に祝福しているのであり、天皇の民衆に対する心も同じだ。

天皇の権威がどうのということなど権力者が考えていることで、民衆はただもう相手の存在そのものを祝福してゆく心のよりどころとして天皇を祀り上げてきたのであり、「象徴天皇」であることを自覚した平成天皇は、日本列島の民衆社会の伝統としてのそういう関係性と集団性に殉じていった。そうやって右翼主義者からの「民衆から隔絶した<神>であれ」という要請を振り切り、民衆との直接的な関係を模索していった。たとえば、被災地を訪問した天皇皇后がひざまずいて被災者からの声に耳を傾ける姿などはまさにそういうことであり、多くの右翼たちがそれを苦々しく思っていた。

 

 

権威主義は「差別」の温床であり、ヘイトスピーチ権威主義である。右翼は権威・権力にしがみつき、左翼はそれを否定し排除しようとするのだが、そのこと自体が権威・権力であることを認めてしまっている。

天皇は、権威でも権力でもない。権威でも権力でもないことが、天皇天皇たるゆえんである。民衆は、天皇の存在そのものを祝福し祀り上げている。権威・権力を超えたその「超越性」が、天皇を「崇高=神聖」たらしめている。

人は、この生を超えた「崇高=神聖=超越的」なものにあこがれる。それは、だれにとってもこの生がいたたまれないものであるからだ。いたたまれないものであるからこそ、「幸せ」とか「ときめき」とか「満足」とか「価値」とか「権威」というようなものを求めるのであり、その究極に「崇高=神聖=超越的」なものに対するあこがれがある。それが西洋人にとっては「神(ゴッド)」であるのだろうが、日本列島における「崇高=神聖=超越性」としての「かみ」は神の外の「非存在=無」であり、そういうものに対するあこがれのよりどころとして天皇が祀り上げられている。だから天皇は「無私の人」であり、戸籍も持たないのだが、べつに難しいことではない、ただもうわれを忘れて他愛なく世界や他者の輝きにときめいてゆくためのよりどころとして天皇が存在してきた、ということだ。

大切なのは「自分=この生」ではない。その外に向かって心が超出してゆくときにこそ、いたたまれない「自分=この生」が癒され活性化する。

「崇高=神聖=超越性」に対するあこがれなしにこの生は成り立たない。それは人としての普遍的な問題であり、そういう意味で、天皇がいなくなればこの国の運営がうまくいくとは言い切れない。また、天皇のいる国のたしなみとして、正しかろうと間違っていようとヘイトスピーチや差別なんかするべきではない、という問題もある。

天皇がいるから右翼や権力者はヘイトスピーチや差別を扇動するし、天皇がいるから民衆は「そんなことはしない」というたしなみを持つことができる。

天皇制は諸刃の剣であり、まずは天皇を民衆の手に取り戻さねばならない。そうすれば天皇は、だれもがときめき合い助け合うという民主主義のよりどころになる。日本列島は、民主主義からもっとも遠い国であると同時に、もっとも近い国でもある。

天皇は、右翼や権力者たちの玩具ではない。

 

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『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』

初音ミクの日本文化論』

それぞれ上巻・下巻と前編・後編の計4冊で、一冊の分量が原稿用紙250枚から300枚くらいです。

このブログで書いたものをかなり大幅に加筆修正した結果、倍くらいの量になってしまいました。

『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』は、直立二足歩行の起源から人類拡散そしてネアンデルタール人の登場までの歴史を通して現在的な「人間とは何か」という問題について考えたもので、このモチーフならまだまだ書きたいことはたくさんあるのだけれど、いちおう基礎的なことだけは提出できたかなと思っています。

初音ミクの日本文化論』は、現在の「かわいい」の文化のルーツとしての日本文化の伝統について考えてみました。

値段は、

『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』上巻……99円

『試論・ネアンデルタール人はほんとうに滅んだのか』下巻……250円

初音ミクの日本文化論』前編……250円

初音ミクの日本文化論』後編……250円

です。